スピリチュアルはどんな意味?生き方と世界観の芯は笑顔の種

何か悪いものが憑いているから、悪い事ばかり起きるんだ!!

そんなことを考えたくなることってありますよね。

ご先祖様の祟りだ!曰く付きの場所に行ったから…なんて言ってるうちは、まだマシな方かもしれませんね。

 

おかしいのは、霊のせいだ~!!

便利な言葉です(笑)

 

責任転嫁しちゃってることがどれほどあることか…肝心な事から目を逸らすには、もってこいの世界…それをスピリチュアルと呼ぶ人もいるでしょう。

 

また、上手くいかないことを何かのせいにしたり、そんな風に説かれるのが嫌だと言って拒絶をする事柄をスピリチュアルと呼ぶ人もいるでしょう。

 

でも、不思議なのが…すがりたいと思うものも、スピリチュアルなんです。

 

ということで、とっても曖昧なスピリチュアルについて、今回はお話していこうと思っています。

[topic color=”blue” title=”こんなあなたに読んで欲しい”]

スピリチュアルとは何なのか?疑問を抱くあなた

よくわからない世界だけれど、何か惹かれると思うあなた

特別な世界だと思っているあなた

[/topic]

 

【AYAME2コマ劇場】

1.起きた物事の原因や理由ばかりにこだわる。

  それは、○○のせいだ…

2.答えを知ることは、本当に重要なんだろうか?

  そして、その答えの正解って??

 

さて、2コマ劇場を見るだけで、疑問符だらけのあなた…

AYAMEが説く、スピリチュアルの世界へようこそ!

では、どうぞ、お入り下さいませ♡

 

 

スピリチュアルとは…何を意味するのだろう?

 

よく聞くようになった言葉で、人々の中にも浸透した言葉となったのが、「スピリチュアル」ですよね。

 

AYAMEに来て下さるお客様は、スピリチュアルというキーワードを気にされている方も多いです。

 

生き方の指針みたいなものに感じる方も多いのかもしれませんね。

信念みたいなものを持てたら、自分が楽になれるような気がしますよね!

 

<疑問>

スピリチュアルっていうのは、とても便利な力だったり、特別な力だったりするんだろうか?

所謂、霊感体質じゃない私は、損をしているんだろうか?

スピリチュアルを知れば、幸せになれるんだろうか?

いやいや、ただの宗教みたいな洗脳なんじゃないの?

 

スピリチュアルという言葉1つで沢山の解釈を連想することが出来てしまうと思います。

 

沢山の方が検索して辿り着いて下さるので、AYAMEが説くスピリチュアルとは!を書くことにしました。

 

ちなみに、基本的に…わたくし、イーリス…勤勉な方ではございません(笑)

どこかで見聞きしたような内容がこの先あったとしても、過去の記事であったとしても、基本的には、私が経験し、言葉にできるようになったことばかりを綴ってきております。

 

時折、時間が出来て本を読む時、あらっ?この人と同じこと書いてる私wwwと、なることが多い日々です。

 

どんな人も条件として持っているのは、「誰が言っている言葉なのか…」それが大切なものでしょう。

 

そう前置きするのも、スピリチュアルという目に見える答えが存在しない分野のコラムであるという認識の下で、読み進めていって欲しいのです。

 

もし、私の言葉を信じて下さるのなら、あなたは、このコラムを読み終える頃には、とても前向きな気持ちになれていることでしょう。

 

 

スピリチュアルの定義は、明確に言葉に出来ない

 

冒頭の2コマ劇場の猫たちを思い出して下さい。

あの猫たちは、揃って、同じ場所から何かを眺めていましたよね。

 

あの猫たちが見えたものは、同じだと思いますか?

 

私とあなたが1杯のドリンクを分け合ったとしても、その味が同じであるか…

その答えは、きっと…NOでしょう。

 

 

私とあなたは、同じ花が好きだとしましょう。

でも、その花を好きな理由は、異なるでしょう。

そして、その花の姿も同じように、認識していないでしょう。

 

私とあなたの感性が似ることはあっても、同じ感覚を共有することは不可能でしょう。

 

それを前提とすれば…誰かが提唱する定義は、誰かにとっての定義や常識になるのですが、誰かにとっては、定義にもならないし、非常識にもなるのです。

 

それでは、このコラムを読み進める意味がないと感じたあなた!!

その感性が他者の存在を否定することになっていることに気づきましょう。

 

スピリチュアルを理解していく上で必要な事は、目に見えることがすべてではないという心理に気づくことから始めなくてはなりません。

 

そして、あなたの中にある常識も捨てていくことが、カギでしょう。

 

<スピリチュアル定義>

・真実に向かって歩こうとすること

・否定を辞め、自分の信念を貫くこと

・惑わされないこと

・他者の存在を受け容れること

1つずつ解説していきましょう。

 

 

真実に向かって歩こうとすることとは…

 

真実って、何でしょうか?

誰も、この真実について答えられないでしょう。

 

見えないものなのに、真実何てあるのでしょうか?

 

世界には、世界の数だけ常識があります。

日本の中でも、世帯の数だけ常識があるのです。

 

この2つを考えても、すでに私たちは「真実」を知らずに生きています。

 

理解しているのは、自分の中で「正しい」とされる常識を根拠に日々過ごしているはずです。

 

どこにも真実など存在していません。

 

では、どうやって、真実に向かって歩いていけば良いのでしょうか?

 

 

[topic color=”orange” title=”答え”]

自分に与えられた人生という時間を最期の日を迎えるまで、全うすることです。

最期まで諦めることなく生きる時間を過ごすこと自体が、真実に向かって歩いていることであるのです。

真実に向かって歩けたかどうかは、自分が最期の日を迎えてから気づくことになるでしょう。

あなたが決めたであろう「目的」を思い出す日がその日です。

その「目的」を思い出せた時、あなたは真実に向かって歩き続けたかどうかの答え合わせができるのです。

真実とは、あなたの人生に常に存在しているのです。

[/topic]

 

例えば…「人を愛する気持ちを知ること」が目的だった時、最期の日を迎えれば、「人を愛する気持ちは、○○だった。」という真実がそこに存在していた証明ができるのです。

 

 

否定を辞め、自分の信念を貫くこととは…

 

否定したいこと…人生には、山のようにあるでしょう。

自分の中の正しいと思うことに反していれば、それは、否定になるものです。

と、細かい事を言い出せば、キリがありませんね。

 

あなたの信念とは、何でしょうか?

 

この信念は、真実を考えるよりもずっと簡単なものです。

 

[topic color=”orange” title=”答え”]

あなたにとって大切なものを愛し抜く意志です。また、やり遂げようとする想いです。

どうせ、無理だから…という否定を捨て去ることが出来なければ、信念を貫くことは出来ません。

信念とは、自分の中に持つ強固な想いであると言い換えれるでしょう。

[/topic]

 

やり遂げたいこと、愛し抜きたいものは、それぞれの胸の中にあるものでしょう。

これは、反面いつでも消し去ることの出来る信念でもあるのです。

 

誰にでも覚えがあるでしょう。

 

やってもないうちに諦めてしまうこと…

 

 

惑わされないこととは…

 

信念を貫こうとする時に、ブロックする材料の1つにもなるのが「まやかし」ですね。

 

惑わされて、真実は見失い、諦めてしまう結果に持っていこうとしてしまうのは、容易いものです。

 

それって、誰の意見?

 

状況判断をする能力は、持っているに越したことはありません。

でも、そうも言ってられないのが、まやかしです。

 

[topic color=”orange” title=”答え”]

常に考えるべきは、主語と述語。

本人から直接聞いてもいない事柄を自分の主観若しくは他人の意見によって惑わされ、自分の信念さえも、真実さえも変えてしまうのです。

一体、誰が言っていることなのか…

常に冷静な判断が必要とされます。

[/topic]

 

主語と述語が噛み合っていないのなら、諦める必要などないのです。

 

 

他者の存在を受け容れることとは…

 

真実・信念・まやかし…ときましたね。

ここで、やっと他者の存在についてです。

 

あなたは、他者の存在を受け容れていますか?

 

この質問をして、「はい!受け容れていますよ!」と答える人に疑問を抱きます。

 

そして、この他者の存在についてがとても重要な部分を占めています。

スピリチュアル定義として、4つのどれが欠けても成立しません。

 

[topic color=”orange” title=”答え”]

自分と相手とを切り離すこと。

相手を常に尊重することを忘れてはなりません。

忘れてしまえば、途端に、真実は消え、信念を貫くのではなく、単に利己的な行いと変わり、己に惑わされていきます。

相手には、意見も想いもあって、あなたと同じように、相手もまた真実に向かって、信念を貫き惑わされずに歩かねばならない存在なのです。

[/topic]

 

 

スピリチュアル定義を理解するための解釈方法

 

とても分かりやすい例えをしましょう。

 

あなたが好きな○○さんがいます。

■さん「○○さんは、△△さんが好きなんだって!」と、言う人がいます。

 

さて、どうしましょうか?

 

・あなたが好きな○○さんは、あなたに直接、△△さんが好きだと言った訳ではありません。

よって、他人の意見で諦める必要はありません。

 

・○○さんに告白したら、△△さんのことが好きだという結果がありました。

■さんの言った通りだったと、自分を責める必要はありません。

本来、あなたにある真実は…■さんに何かを言われたり、△△さんに断られたりして、変わるものではないはずです。

 

これは、ストーカーを助長しているのではありません。

 

人を愛すること=想いが実ることではありません

 

誰かに言われたから、嫌いになるでも、振られたから、嫌いになるでもないはずです。

 

その人を愛することは、どんな結果でも変わらないはずです。

 

私たちの身近で起きているのは、単に人を愛するのではなく、思い通りにならないから、嫌いになったり、束縛をしたり、執拗に迫ったりと、真実や信念からかけ離れた行動に出てしまいがちなだけなのです。

 

あなたの好きな○○さんのことを尊重しようと思うことが出来ない自分勝手な行動に出るのではなく、自分とは実らなくとも、好きな○○さんが幸せであったら、それが自分にとっても嬉しい事なのだと思えることが、愛でしょう。

 

母性を例えに出すとわかりやすいかもしれませんね。

母性とは、自分の身を削ってでも、愛おしい我が子のために、注げるものがあると言われていますよね。

 

例えば、「美味しい♡」と食べる子どもがいれば、「よかったら、ママのも食べていいよ」と差し出す。

 

本当は、お母さんだって、お腹が空いていて食べたかったかもしれないのに、愛する我が子のためなら、その犠牲を惜しまないで払える。

 

この行動が親子だけではなくて、先ほどの○○さんにも思えるようになれることが、スピリチュアル定義のミソなのです。

 

好きな想いを辞める必要もなければ、その想いが成就するかどうかは、相手の気持ちもあるので、別物です。

 

相手の存在を受け容れられるから、相手の幸せを願うこともできるのです。

 

実らない私は、寂しいだけ?

 

こんな疑問だけが残る事でしょう。

 

先ほどの、親子の話で言えば、母親は、飢えているだけなのでしょうか?

 

もちろん、お腹は、空いたままでしょう。

 

大切な我が子が笑顔であれば、それだけで幸せ。

そう思えるから、譲ったのです。

 

子どもの笑顔や満足が自分の幸せにもなるから、そういう行動ができるのです。

 

○○さんが悲しむ顔を好きになった訳ではないはずです。

 

間違った方向へ進むのは、他人の存在を認めず、自分の想いがだけが成就することを考えるから、真実を見失い、信念を貫くどころか、まやかしの世界で生きることになってしまうのです。

 

 

神様って一体何者?意地悪選手権王者なんだろうか?

 

さぁ、スピリチュアルの話も深まれば深まるほど、頭は、混乱し、生きる意味がわからなくなっていくかもしれませんね。

 

目には見えない真実があり、そこに向かうために貫かなければいけないものがあり、自分の感情は、置いておいて、他人を尊重する…

 

そんな一文だけ考えれば、人生は、不幸としか感じませんよね(笑)

もっと、ラフで、楽しいものだっていいじゃない!

 

神様は、何がお望みなの?

自分以外の者のためにばっかり注ぎ続けることが、不幸に感じる…。

自分の中に持った信念も挫かれる日が来るものです。

 

神様とは…どれだけ考えてもわからない存在である

 

究極に難しい質問の答えが、神様って何ですか?

だと思います。

 

そして、都合の良い時にも、悪い時にも、使われる神様です。

 

神様は、忙しいんですよ!(笑)

 

憎らしいと言われたり、助けて欲しいと泣かれたり…

 

神様は、たった1つの存在であり、私たちのすべてです。

 

率直に、神様がどのように誕生したのか…私にもわかりません。

神様も、私が先ほど書いたようなスピリチュアルのルールみたいに、目指すものがあって、日々進んでいるようです。

 

神様が目指す、その先の答えは、私にはわかりません。

 

何を目指したくて、私たちを生み出したのか…

 

その答えを知っていたら、生まれてくる必要はなくなるでしょう。

 

 

神社やお寺にいる神様仏様とスピリチュアルで考える神様は別物

 

私がここで言う神様は、完全なるものである。という、比喩にしておきましょう。

 

一方、私たちが普段お参りに出掛けたりする、神社やお寺にいらっしゃる神様や仏様は、同じ物なのでしょうか?

 

考えてみて下さい。

 

沢山の名前の付いた神様・仏様がいます。

それは、日本だけではなく、世界中にいるのです。

 

神様は、そんなにも沢山いるのでしょうか?

 

そう呼んだ方が、私たちには、生きる希望となるものがあったのでしょう。

 

かと言って、有難くもない存在という話ではありません。

 

神様、仏様は、私たちにわかりやすい姿で、私たちの心を支えてくれるお役目をして下さるとても崇高な存在である。

 

これが答えだと思っています。

 

たった1つの存在の神様を「生みの親」とするならば、神社やお寺にいらっしゃる神様、仏様は、「育ての親」と表現すると、わかりやすいかもしれませんね。

 

だから、神様、仏様は、いつも私たちの味方で愛して下さるんですよね。

 

私たちは、時に、酷い事を言ったりするのに…。

 

 

わかりやすい答えは、東洋にアリ…陰陽で考えるスピリチュアルにその神髄があった!

 

もう、頭がついていけない!!

と、嘆きたくなっている方もいることでしょう。

真実を知ろうとすることは、困難で、計り知れないものがあるということなのです。

 

そんなあなたのために、例え話よりもわかりやすい陰陽の話をしていきましょう。

 

えっ?なら、最初からそれで良かったじゃない?

 

いえいえ、最初から陰陽の話をしていたんじゃ、伝わらないから書いたんです。

必然ってやつですよ(笑)

 

陰陽のシンボルマークの対極図から考える

 

まずは、こちらをご覧ください。

 

一度は、どこかで目にしたことありますよね?

陰陽太極図というものです。

 

東洋医学の考えの原点です。

 

すべての物事は、陰と陽で構成されているという考え方です。

私たちにも無意識に根付いている考え方なんですよ。

 

わかりやすい表現だと男と女。

 

男性ホルモン、女性ホルモンという言葉を聞きますよね。

 

私たち、見た目は、それぞれの性別で男女に分かれていますが…男性の中にも女性ホルモンがあって、女性の中にも男性ホルモンがあるというのは、ご存知かと思います。

 

陰と陽の太極図の黒丸と白丸の部分をホルモンと例えると、男性が白でも、女性が黒でもなく、必ず、その中には、白も黒もあるということです。

 

この例えだと、絶対論を求める方にとっては、納得しやすいものになるのではないでしょうか?

 

太極に位置するのは、神様…私たちは、常に陰と陽に翻弄されている

 

スピリチュアルに話を戻しましょう。

 

陰と陽、その中に少陰と少陽が混ざっています。

この図が、太極図の構成なのですが…

 

神様は、どう表現するのかと言うと…

陰でも陽でもないものを「太極」と呼びます。

その完全なるものである太極が、神様なのです。

 

そう、神様は、男女と言う性別を持っていない存在。

 

すべての頂点にあるのです。

 

天使には、性別があるように描かれていますよね。

日本だけでなく世界中の仏様や神様は、性別があるように表現されていますよね。

 

私が話す、神様は、性別さえもない存在です。

 

陰と陽のどこにも交わらない確かな存在なのです。

 

その存在である神様を想像することは…やはり困難でしかないでしょう。

 

なぜなら、私たちは、常に、陰と陽に翻弄され続ける生き物です。

 

それが正しいとか、間違っている…そんなことを気にしているんですよね。

 

更に深く…スピリチュアルについて考えていきましょう。

 

 

少陰と少陽に気づく素晴らしさ…太極を目指す生き方は、幸せの象徴

 

こんな見出しの言葉を読むだけで、とっても難しいものだと感じるでしょう。

何度も書いているように、スピリチュアルというのは、目に見える物ではありません。

 

そして、これだ!という明確な表現は、できませんし、個人の捉え方、見え方によって大きく変わるものでもあるということです。

 

誰かにとって真実であることは、誰かにとって、嘘にもなるのです。

それが、陰陽の法則とも言えるでしょう。

(太極図には、小さな少陰、少陽というものがありましたよね!)

 

 

まずは、少陰と少陽を見極める力を養うことが大切

 

もう一度、この太極図をご覧ください。

白の陽の中に、黒の少陰があり、黒の陰の中には、白の少陽があります。

 

これは、変わらない事実です。

 

陰陽は、すべての物事に当てはめることが可能なのです。

 

噛み砕きますね。

 

良かったこと・悪かったことを2択で考える癖ありますよね?

 

太極図は、白と黒だけではありません。

 

良かったと感じる物事(陽)には、必ず、反省すべき点(少陰)があります。

悪かったと感じる物事(陰)には、必ず、良かった点(少陽)があるのです。

 

これが太極図の真実です。

 

いろんな人が口をそろえて、こんなことを言っていたりします。

 

「事故に遭った。その事実は、最悪な事だったけれど、無事に家に帰ることが出来たから良かった。」

 

多くの人は、交通事故に遭ったことを嘆いたり、怒ったりすることでしょう。

でも、命があったこと…それだけで、良かったのだ。

そんな風に考えることが苦手なのです。

 

人は何でもない事に感謝を持つことを積極的にしようとしません。

 

何でもないこと…それは、どういうことなのでしょうか?

 

何でもないことは、大したこと…考え方を変えてみよう!

 

朝、目が覚めること…

当たり前だと思っていませんか?

 

家に帰ってくること…

当たり前だと思っていませんか?

 

また明日!

当たり前だと思っていませんか?

 

仲直り…

また今度でいいや…

 

その当たり前や今度って、いつまで確実にあるのでしょうか?

 

何でもないことや当たり前のことといった主観を持っていると、このように、大したことではないと捉えてしまったり、また今度でいいやとおざなりにしてしまったりするものです。

 

人は、誰しも、生まれた瞬間から向かっているのは、死への時間です。

 

生と死…これもまた、陰陽です。

 

そして、与えられる命の時間は、それぞれ違うのです。

 

生まれて1時間後かもしれないし、100年後かもしれない…。

 

それほどまでに違う生きる時間の中で起きる物事を

「何でもないこと」

「当たり前のこと」

「また今度で…」

このようにしてしまってよいのでしょうか?

 

AYAMEのコラムの中でも何度も書いてきたことです。

大切な言葉は、ちゃんと言いましょう。

 

後悔先に立たず!!

 

 

物事の捉え方を陰陽の法則で考えれば、負の感情は薄れる

 

大切な言葉は、時間の限りのあるうちに…

そんなことをお伝えした次に、とっても大切なことがあります。

 

AYAMEにいらっしゃるお客様、いろいろと人生に起きる問題にお悩みの方が多いです。

 

私たちに声をかけてくださる方は、一生懸命今を変えようとされている方が集まってきます。

 

私がいつも見るように心掛けていることは、少陰や少陽の部分です。

 

この部分を見つめることは、得意な方はいらっしゃいません。

逆に、冷たいと思われることもあるかもしれません。

 

嫌だったことを全開で受け止めて欲しいと思うものでしょう。

 

違った方面で言えば、不満でかき消されてしまう物事の軸を見るようにすることも人は苦手なものです。

 

自分の心が満たされることとは、どんなことでしょうか?

 

私たちは、誰しもが赤ちゃんだった頃がありますよね。

そして、その頃の記憶は、ほとんどないでしょう。

 

しかし、赤ちゃんの頃、私たちが求めたものの1つは、お母さんが笑顔でいてくれることを望んだものです。

 

その望み通り、お母さんが笑顔で抱きしめてくれると、心はとても温かく満足して眠ることができたはずです。

 

お腹が満腹になることでも、オムツを替えてもらうことでもなく、愛する存在の笑顔が最大の充足する時であったはずです。

 

本当の軸は、目に見えない部分に隠れているということです。

 

その目に見えない、見えにくい部分が、少陰・少陽と呼ばれる部分なのです。

 

見えない部分を見るコツは、落語にあり!

 

こんな落語を聞いたことありませんか?

 

豆腐の角に頭をぶつけて死ね

 

真面目な人に対する嘲笑の意味で使われるそうですが…

 

AYAME的には…

 

豆腐の角で頭をぶつけて、痛いと嘆いている

 

これが大半の人生に起きている出来事に対する私たちの感想なのです。

 

実際、豆腐の角で頭をぶつけても、痛い…は、なさそうですよね(笑)

 

人生に起きた出来事に一喜一憂する私たちですが、基本的には、痛くないことに痛いと嘆いていたりするものです。

 

それが、少陰・少陽を見ようとしない証明です。

 

実際、豆腐の角に頭をぶつけたとしたら…

 

冷たい!

洗わなきゃ…

 

まぁ、冷静にそんな気分ですよね(笑)

 

痛いと嘆くよりも、実際に取りたい行動は、直ちに、豆腐を拭き取るなり、洗い流すなりして、髪型や必要であればメイク直ししなきゃといったところでしょう…。

 

そう、実際にぶつけたとしたら…次に取る行動は見えるんですよね(笑)

 

また、感情の面では、最悪…豆腐とかマジありえない…と、負の感情でいっぱいでしょう。

 

そこを豆腐で良かった!怪我しないし(笑)

なんて、能天気に考えられる人の方が少ないですよね。

 

もし、夫婦喧嘩をして、相方が豆腐をぶつけてきたとしたら…

 

なぜ?豆腐~~~~~!!!!???

 

と、なるでしょうが、ぶつけてきたものが豆腐であるなら、愛情感じませんか?(笑)

 

致命傷になるものではありません。

 

本当に怪我するものを投げつけてきたら、問題ですが、そこは敢えての豆腐。

 

愛情すら感じられるでしょう(笑)

 

だって、相手は、すごく喧嘩で腹立たしい想いをしたけれど、怪我は絶対にしないものを選択したんです。

 

だからって、実際に豆腐を投げちゃだめですよ(笑)

ちゃんと、命ある食材は、感謝を込めて頂きましょう!

 

【まとめ】スピリチュアルを知ることは、見えない芯を見続けて生きること

 

後半、ジョークも交えてみましたが(笑)

 

<スピリチュアルとは>

目に見えない芯(軸)から目を逸らすことなく、見続けて生きて行くこと。

目先の回答にこだわることをやめること。

芯を見ようとするから、人を愛することができるという心理を理解すること。

 

これが大前提です。

 

起きた物事は、霊を含め、何かのせいではありません。

そもそもの根源は、自分自身です。

 

スピリチュアルという言葉は、誰かの都合の良い言葉ではありません。

目に見えない世界は、便利に表現されます。

 

自分に起きた問題を考えることをやめて、何かのせいにしてしまえば、自分は楽になれます。

 

それは、スピリチュアルとは言いません。

 

単に都合よく、他人のせいや霊のせいにしてしまっているだけです。

 

すべてを超越した先にあるのが神様です。

 

そんなものを目的にして何の意味があるのだろう?

そう感じる意見もあるでしょう。

 

では、逆に伺います。

自分が幸せに生きる心理を見ようとしない理由は何ですか?

 

今感じる気持ち、体、心…

大切な人と幸せに生きて行くことだけ考えたら、どれほど充実したものになるでしょうか?

 

これから、恋愛をしていく人

己の欲を相手にぶつけることは、相手にとって幸せでしょうか?

 

不幸だと嘆くような人生

そう嘆くことができる今があること自体が、すでに幸せになっているのだと気づけますか?

 

人の幸せが望めない人

あなたの感覚は、他人の感覚なのでしょうか?

 

当たり前に起きている出来事

本当に当たり前なのでしょうか?

 

いつも、私たちは、人生の終わりに向かって歩いているのです。

どんな風に生きたら、幸せなのでしょうか?

 

一時の暴挙は、必ず後悔する時が来ます。

あなたが独りぼっちになって気づいて嘆いたら、時は戻ると思いますか?

笑顔で居続けるコツは、表面ではなく、芯(軸)を見ることです!

さぁ、何かに惑わされることは、これで終わりにしましょう!!

 

 

 

[topic color=”green” title=”irisが解くスピリチュアルな話”]

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[/topic]

 

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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