Iris(イーリス)プロフィール

イーリス

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Iris(イーリス)♀

みなさま、はじめまして。

私のプロフィールに興味を持って下さり、

ありがとうございます。

 

なぜ、イーリスという名前なのか…

 

まず、私の名前の由来を知って下さい。

irisというのは、ラテン語で、虹の女神を指します。

雨が降る日もあれば、晴れる日もある。

夕立の後には、虹の架かるような晴れた空になりますよね。

そこから、あやかって、みなさまの困りごとを笑顔に変える橋渡しをするお手伝いができますように。

との願いを込めて、名付けました。

 

そして、irisを英語にすると…アイリスと読みます。

アイリスを日本語にすると、アヤメです。

 

アヤメの花言葉は、良い知らせ・便りという意味があります。

 

AYAMEとirisは、私の中で、同義語です。

 

みなさまに良い便りと言霊を届けるのが私の使命だと思っています。

そして、その言葉が、あなたが悩みの森から抜ける光となりますように。

そんな願いを込めています。

 

イーリスのステータスデーター

 

過去:うつ病・パニック障害・不安神経症・気分障害・自律神経失調症と診断を受けるも、すべて克服。

 

職業:介護福祉士としてだけでも、鍼灸院のサポートだけでもなく、私の経験や知識から人の心を救うセラピストとして活動中

 

長所:生まれ持った体質により、現主人のナタール先生のサポートができること

 

短所:生まれ持った体質により、人の心を見えすぎて、自分が傷つくこと

 

現在:ようやく「人を愛すること」が何なのかを発見し、順風満帆な生活を手に入れられたこと

 

一言:私の生まれ持った体質とは、スピリチュアルな力ですが…霊媒師ではありません。霊媒師になる道に進まなかったのは、「現実を生きるためには」を追求する方が有意義な人生だと思ったからです。スピリチュアルコラムも書いていますが、そこにこだわらない生き方を説いていくことが、「現実をいきること」に直結すると思って提唱しています。

 

イーリスって、どんな人?

 

私の名前の由来の次には、私についても知って下さい。

AYAMEで書き綴るコラムは、私のこれまでの経験によって作られてきました。

そんな私のこれまでの歩みのご紹介です。

 

幼少期編

 

家族構成は、父、母、10歳離れた姉、そして私の4人家族でした。

3歳の時に、愛犬ラムがやってきました。

 

結構幼い記憶が残っていたりします。

写真を見ないと思い出せないことばかりですが、写真を見ると、その時の前後背景を覚えていたりします。

 

1番小さい頃の記憶だと、首が座ったくらいの頃です。

どこかの堤防のような水辺の近くで、うつ伏せに置かれた写真があるのですが…

(なんで、こんなところにおくんだよ~)

なんて、思っていました(笑)

 

姉に1歳前の歩けない頃に、公園に連れて行かれ、写真を撮られた時も

(わたしをブランコにのせて、のんきに写真なんて撮ってるなよ~)

まぁまぁ、喋れない頃は、文句を感じていたのかもしれませんね(笑)

 

けれど、そんなのんきに育ったわけではなく、母と父は、夫婦喧嘩が絶えず、父の暴力と束縛に悩まされ育ってきました。

 

母がいつも無言で、苦労をしている姿を見てきたんだと思います。

 

父の虫の居所が悪いと、母に暴言や暴力を振るっていたと思います。

その暴力は、愛犬のラムにも及びました。

 

幼い時に、見て育つには、壮絶なものが沢山あったと思います。

所謂、普通の家庭で通じるような冗談が通じることもなく、気を遣う事ばかりの幼少期でした。

 

そして、姉は、そんな家に嫌気を差し、出て行く始末。

10歳の頃には、姉は、結婚し、出産…1人になりたくなくて、よく母に文句ばかり言って困らせていたものです。

 

思春期編その1

 

物心もしっかりついてきた頃、1つの悩みに直面しました。

姉も居なくなった家は、居心地が良いとは言えず、いつも神経質に過ごす生活にも疲れていました。

そんな時、非行グループとの出会いもありました。

 

けれど、私まで母を裏切る訳にはいかない。

その決意を貫き、仲間として行動する選択肢は選びませんでした。

 

中学2年生の時に、当時の親友にサマーボランティアに誘われ、デイサービスに行くことになりました。

 

この時、福祉という世界に感銘を受けたのです。

 

それまでは、高齢者なんて、汚らしいし、近寄りたくないと思っていました。父の田舎(福井)には、老人ホームに入所していた名前だけの祖父がいたので、私の印象は、良いものなど1つもありませんでした。

 

そんな私が、親友のためだと、嫌々了承したものだったのに…なんて、素晴らしい世界なのだろうか…私が目指したかったものは、これなんじゃないか?と思ったのです。

 

それまでは、ゲーム好きだったこともあって、ゲームを作るプログラマー等になれたらいいなと考えていたんだと思います。

 

中2を境に、中3になって、知的障害者のボランティアグループにも参加をし、中3の夏には、特別養護老人ホーム(後の就職先)にも出向きました。

 

そして、その意欲は止まらず、高校も福祉科のある高校へと進みました。

 

しかし、私が燃えたぎるような想いで突き進もうとする意欲とは裏腹に…現実の福祉科の高校に入って大きな挫折を味わいます。

 

夢多き(大きい)故に…周りの子との温度差、自分の熱望するものがそこにないという挫折。

勉強の大切さへの理解も示さず、面白くない3年間を過ごすことになりました。

学校へも行ったり、行かなかったり…家庭も相変わらず面白くない日々で(姉は、結婚してからも母にずっと迷惑をかけっぱなし)退学さえ考えました。

 

そんな生活をしていたので、国家試験にも落ちました。

救いだったのは、それでもボランティアをやめなかった施設に、正社員雇用をするという内定をもらえたことでした。

 

思春期編その2

 

人間関係は、絶えず動く。

今も同じなのですが、仲良くなる人が現れては、疎遠になるという経緯を辿っています。

 

その時、その時に過ごす人には恵まれているので、本当の独りぼっちになったことはありませんでしたが、居場所が掴めない日常を送り続けてきました。

 

自分の家庭が面白くない、友達とも合わない…そんな私が行きつく先は、恋愛依存だったかもしれません。

 

彼氏がいれば、友達より彼氏。

その間に、友達も離れていく…。

 

非行に走りきれなかった私は、自分の寂しさを彼氏で埋めようとしていたんだと思います。

 

高校卒業と同時に…

 

母が高校3年生の1月、私は、リビングでTVを、母は、台所で家事をしていたんだと思いますが…

母「お母さん、離婚したいと思うんだけど…」

 

やっとか!!

 

ずっと、離婚して欲しいと懇願したこともありましたが、手に職もない母は、踏ん切りをつけることができず、そのまま耐えてきたようです。

 

その日から、DVの父と離れるための夜逃げ準備を始めました。

実行するのは、3月2日…卒業式のあくる日です。

それまでは、悟られないように、少しずつ荷物を祖父母宅に運び出し、大きなものを卒業式の翌日に運び出す計画をしていました。

 

そうでもしなければ、命の保証がない…

 

やっとの思いで逃れた父との生活、第三者宅を借りての大がかりでした。

母と「生きて会おう」そんな約束までしたものです。

 

その日を境に、私の精神状態には、パニック障害のようなものが起きるようになっていきました。

 

と、言うのも…母と父が(長い間別居という形でしたが)別れてから、父の矛先は、私に変わったのです。

 

職場に来られたこともありました。

電話で、当り散らされたことも…母が今までされてきたことが、すべて私に降りかかってきたのです。

 

結婚への憧れ…

 

20歳の時に、強い結婚への憧れもあって、結婚をしました。

辛かった家庭を温かいものに作り直したい。

そんな想いで、授かった長男、二男…

 

しかし、家族を知らない私には、義家族は、ストレスにもなりました。

兄弟も多く、親戚も多く、お父さんは、良い意味でとても干渉的で、私には、受け容れられることばかりではありませんでした。

 

姑とは、仲良くしよう!

 

そんな想いで対峙するも…姑の価値観が理解できない私…

 

それでも、歩み続けようと必死にくっついていたと思います。

 

理解出来ない夫の行動と自分の孤独

 

憧れで結婚したものの、妊娠して、孤独を知りました。

それまで、自由の身だった私は、専業主婦として家の中にいて一生懸命家事をこなすばかりの日々…

 

ふと気づいた時に、友達に会いたいと思うものの…友達は、こんな日中にいるわけがない…

 

最初の孤独は、この時に知りました。

 

長男が生まれ、4ヶ月になる頃、夫の仕事が多忙な部署へと変わり、帰宅は遅くなり、何もかも1人でこなすようにと変わっていきました。

 

そして、二男を妊娠した時に、悪阻で動けなくなり、誰にも頼れず、大きな孤独を感じました。

 

私の孤独とは裏腹に、私以上に愛を要求する夫…

 

この時、一度目の離婚を決意します。

しかし、妊婦だから…と、思い悩み留まったのです。

 

疑いだしたら、止まらない生活は、離婚への一直線

 

不貞行為等を繰り返す夫、信じられない私。

このリズムは、日常を地獄へと変えていくだけでした。

 

私は、精神科へ通うようになり、薬に逃げる日々。

 

何とか、丸く収めようと努力するも、夫とは、トラブルが絶えなくなっていき、気づけば喧嘩していたと思います。

 

いつも気になり続けた携帯。

見れば、否定したい事柄は、単なる肯定材料にしかならず、より傷ついていっただけでした。

やり直す努力をしても、やり直せないんだと警告されるようなトラブルが毎回やって来ました。

 

最愛の理解者の友人も21歳で亡くし、心は、荒む一方で、片時も休まることがなかった8年という結婚生活に幕を下ろしました。

 

愛されたいという想いでスタートした結婚生活は、何1つ上手くいくことはなかったのです。

 

離婚しても治らない精神病との闘い

 

離婚して、3ヶ月くらいとても元気で生活をしていました。

何かのきっかけがあったわけでもありません。

不意に大きな疲れに襲われ、またも転落していきました。

 

引きこもりのような生活をしながら、自分の抱いてきた夢…福祉業界で花を咲かせることを諦めてはいませんでした。

 

心が荒みながらも、人のために尽くしたい想いは、消えていませんでした。

 

そこから、勉強し直し、介護福祉士を取得します。

 

しかし、介護福祉士を活かした仕事に就くも、仕事でも度重なる苦労が絶えず、ブラック企業に入り、心身共に疲弊し、2度目の(1度目は結婚していた時に)危機に陥りました。

 

どうしても、やりたいことがあるのに、上手くいく道筋が立たない。

けれど、夢は捨てたくない。

 

最大の転機…ナタール先生との出逢い

 

ずっと、上向きに昇ってもすぐに転落するようなリズムで生活してきた私です。

 

そんな私が、ナタール先生に出逢ったのは、運命的と言えるものでした。

恋に落ちるまでもあっという間…

 

「私が、自分を変えたい」と、強く願った時に、現れた人なのです。

 

そして、ナタール先生の仕事を手伝うようになりました。

ナタール先生が叶えたい想い…それは、私の想いでもあるのです。

 

ナタール先生は、鍼灸師です。

お母さんが癌になった時に、志した人を助けたいという想い、医療では何もできない限界への挑戦…それが叶うかもしれない道筋が東洋医学にあるという無限の可能性。

 

その夢は、私の人を助けたいにも直結するものです。

 

そうか、高齢者や障がい者なんて狭い枠は、取っ払おう。

 

私の助けたい人は、老若男女問わなくていいじゃない!

 

この想いが、今へと繋がってきました。

 

そして、やっと手に入れた家庭がここにあります。

長女も生まれ、人を愛する意味も理解出来た温かい家庭が…。

分け隔てなく、寧ろ私より、息子たちのことも愛してくれるナタール先生。

猜疑心を持たなくてもいいんだと教えてくれた「愛」

 

ナタール先生に出逢ってから、私の生き甲斐を見つけ、人を愛することも覚えた途端に、すべての疾患は、私から去って行きました。

 

病は気から、気は病から…本当にその通りだと思います。

そんなスゴ腕の最愛のパートナーを持っていることが私の誇りです。

 

最後に一言

 

私のヒストリーをかなり大雑把に書きましたが、それなりの苦労を何度もしてきました。

ここに書ききれていないような壮絶な過去も多々ありました。

それは、コラムでも書いていこうと思っています。

 

世の中、医学的根拠や科学的根拠を問われることが多いですが、それだけで解決するものではない。

 

そこで、解決できないものを解決できる場を提供していくことが、私の役目の1つでもあると思っています。

 

このAYAMEに書かれてる、書かれていくコラムは、私の説く人生の有意義な過ごし方のカギです。

 

私よりも壮絶な経験をされてきた方も沢山いることでしょう。

人の苦労は、比べるものではありません。

 

でも、どんな暗闇であっても必ず出口を見つけることができるのです。

 

その道案内をすることが、私の残りの人生の役目であると思って取り組んでいます。

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