Natal(ナタール)プロフィール
サブ オーナー
Natal(ナタール)♂
Natalという言葉は、ラテン語から由来するもので、「生まれる」という意味があります。僕の想いで、生まれてきた子どもたちに未来を託して過ごしていけるように、自分の力を注ぎたいと考えてつけた名前です。
子どもたちにとって、とても大事な存在になるのが母親です。自分の母や奥さんをみていても、いろんなことで悩み、苦労していることがわかります。そんなお母さんたちにとって、特に身体の不調について楽にすることで、心の安らかさを得ることができるように役立っていきます。
母親は、自分よりも家族をなんとかしてあげたいという想いを強く感じることがあります。子どもの健康であったり、旦那さんのこと、おじいちゃんやおばあちゃんのことであったり、役に立つことはどんどんお話していますので、よろしくお願いします!
Natal(ナタール)のプロフィール
- 愛知県名古屋市に住んでいます。
- 生まれは、岩手県釜石市で母親の実家の方です。
- バツイチです。
- イーリスさんと出逢い、高校生の長男と中学生の二男、保育園の長女と5人家族で日々奮闘しています。
- 痛くない鍼と気持ちの良いお灸をする鍼灸師です。
- 断食と出会い、鍼灸とも親和性が高いと感じていて、実践しながら追究しています。
鍼灸に出会うまでは、失敗と挫折の繰り返し
僕が社会人になった頃、鍼灸や断食とは無縁の世界にいました。
まずは、どのような経緯で鍼灸に出会い、断食を勧めることになったのか、過去にさかのぼってみたいと思います。
経営コンサルタントを目指し、中小企業診断士の資格取得の勉強をしていた
僕が学生の頃、世の中は不景気の真っ只中で就職氷河期と言われるような世代でした。
周りをみていても、就職先を選べるような感じもなく、働くこと自体厳しいんだなとなんとなく思っていました。
そんな僕が選んだのは、就職活動をすることもなくバイト先での収入の確保でした。
バイトは同年代も多く、やり慣れている仕事でもあるので、楽しく過ごせてはいたのですが、将来に対するなんとなくの不安を感じつついたのです。
そんな中、ちょっとしたきっかけで出会ったのが、中小企業診断士という資格があり経営コンサルタントとして活躍できる場があることを知りました。
僕も、中小企業診断士の資格を取れば、会社の役に立ち、会社にとってのお医者さんみたいなことができるんだと喜んでいたのです。
そこからの行動は早く、中小企業診断士取得のためのスクールに一年あまり通い、勉強に集中できた時期です。
誰かの役に立ちたいと芽生えた自分でした。
この中小企業診断士の資格を勉強していた時、ふと学生時代には、まともに聞いてもいなかった経営学の真新しい教科書を開いてみました。
まさしく今勉強していることが、学生時代にも学ぶ機会があったことを知り、なんてもったいない学生生活をしてたんだと思いましたよ。
経営コンサルティング会社への就職と何も知らない自分
中小企業診断士の試験は三次試験まであります。
マークシートによる一次試験は無事に合格できましたが、一次試験の合格者だけが受験できる筆記試験の二次試験には落ちてしまいました。
しかし、試験勉強中に進めていた就職活動で、小規模ではありますが経営コンサルティングを事業とする会社に就職することができました。
就職はしたものの、まともに会社で働いた経験も少なく、何かしら資料作成するためのワードやエクセル、パワーポイントを使いこなす技術はもちろんのこと、キーボードをどう扱ったらいいのかすら分かっていない自分でした。
右も左もわからない僕は、経営コンサルタントである社長の付き人のような感じで、顧客周りをした時の打ち合わせ内容を議事録として記録していくことや議題の中で調査が必要なことを調べてまとめることが業務になっていたのです。
少しずつ仕事を任されるが、能力の足りなさを痛感し挫折
何もできない自分でしたが、社長の気長に待つ愛あるしごきにも耐えつつ、少しずつ仕事を任されるようになってきました。
主に任せられるようになってきた仕事が、事業計画書の作成とその事業に関わる資金調達です。
顧客である経営者や役員と打合せをしながら事業計画に落とし込み、銀行などの金融機関に向けて資金の必要性や安全性を資料に作り込んで行きました。
仕事をしていく中で1番の学びになっていたのが、それぞれの立場があり、そこに駆引きであったり、上下関係のようなもので取引が成立していくことです。
同じ資料を見ながらも、それぞれの立場によって見る視点が違っていたり、大事にするポイントが違っていたりするものなのですよね。
だんだん仕事が任せられるようになってくると、より仕事への責任が出てくるようになります。
今のご時世で言えば、完全にブラック企業と言われるような環境で、朝は8時位には出社して、夜は22時過ぎまで働いていました。
顧客によっては、夜中からの打合せであったり、土日も関係なく仕事ということもしばしば、、、
もちろん、残業手当などは一切ありませんでしたよ。
仕事は充実していましたが、責任も重く感じられるようになってきました。
だんだんと消耗していく自分・・・
小規模といえど会社の経営者と対等に話をするのは、かなり大変でした。
知識が足りないと思い、多くの書籍を購入して読み込んだり、時間の確保が難しい中、いろんなセミナーに参加したりと、、、
自分の能力が足りないと、焦っていただけなのかもしれません。
愛あるしごきと感じていた社長の言葉も、いつしか暴力のようにしか聞こえなくなってきました。
経営コンサルティング会社の最後は、社長と喧嘩し、自分には何もできなかったという挫折感の中、次に何をするかも決めずに退職したのでした。
実は、断食というものを耳にする機会が、経営コンサルティングの会社にいる時にあったのですが、後ほど書かせていただきますね。
母親の死と鍼灸の出会い
経営コンサルティングの会社を退職した頃は、心の落ち込みも強く、かなり病んでいたのだと思います。
ただ、何もしない訳にもいかないし、でも就職活動する気にもなれない。
それなりの経験も積んできたから、起業でもするかなんて考えていたりしました。
そんな中途半端に過ごしていた時期に、母親から久しぶりの連絡が入りました。
「一緒に病院に行って、話を聞いてくれる?」
何の話だ、、、正月の頃には、腰が痛いのがなかなか治らないとか言っていたなと、手術でもしないといけなくなったのかなと割と軽く考えていました。
実際に、病院の先生の話を聞いてみると、
「余命6ヶ月ほどです。お尻のところに、○○○という癌のようなものができていて、すでに肺に転移しています。」
「今の医療技術では、何も施すことができない状態です。」
何を、訳がわからないことを言っているんだ?
母親は、身内の多くが癌で亡くなっているし、そのことを気にしていて癌の検診なども受けていた。
介護の仕事で、かなり大きい病院にも勤めていたじゃないか。
なぜ、こんな状況になるまで誰も気づくことができなかったんだ。
何を言ったところで、現状は変わらないし、僕にできることはないか?
まずは、セカンドオピニオンも含めて、何か方法がないか探してみよう。
医療に関する知識は全くないので、手当たり次第調べていました。
癌の治療は大きく、癌を取り除く外科手術や薬剤によって対処する抗がん剤投与、放射線をあてて癌を小さくする方法などがあるということはすぐにわかりました。
ただ、これらは転移もしている状態での対処としては、治療が難しいというのも把握できたのです。
それでも、何かないか。。。
今となっては、どこで調べることができたのかは分からなくなってしまいましたが、
『鍼灸による施術で癌が治る』というような情報を発見したのです。
僕が、鍼灸というものを知ったきっかけでした。
いろいろ調べて、母親に持っていったりしたものもありましたが、僕が選んだのは、できる限りの思い出をつくろうということでした。
初めて僕が主催して、温泉旅行に行ったり、綺麗な花が咲いているところに行ったりと、歩くことも呼吸も大変な母親を連れ回していました。
僕は、母親の死をきっかけに一つの決断をしました。
僕は、鍼灸師になる!
母親の死から西洋医学に疑問を持ち、東洋医学に可能性を感じたのです。
鍼灸師になるために、鍼灸の専門学校だけでなく、どのように道を切り拓いていくか?!
人は、何か目標が持てると変わるものですね。
これまで、中途半端に過ごしていたりもしていましたが、目標が決まったことで、何をするべきなのかのもどんどん決めていくことができました。
<僕がまず決めたこと>
専門学校はあくまでも免許が取得できる所で、鍼灸の施術に必要な技術は世の中で自分たちの技術を研鑽している集まりで勉強が必要であるということです。
自動車の免許で例えるなら、僕が目指すのはあくまでもプロのレーサーでF1ドライバーであるということで、免許取得のために通う自動車学校では、プロの技術は身につけることはできないと考えたのです。
まだ、なにも知らない僕は、鍼灸について調べ始めました。
鍼灸には、大きく3種類の技術があることがわかりました。
・西洋医学的な知識を取り入れたトリガーポイントなどの技術
・日本で独自に発展した古来からの東洋医学に基づいた経絡治療と呼ばれる技術
・鍼灸の技術が生み出された中国で整理された中医学という技術の3種類です。
大きく分けると3種類で、他にも色々あったりするのですが、勉強できる集まりを探すとなると百花繚乱の状態でいくつあるのかも把握できないくらい沢山あります。
西洋医学への疑問から鍼灸への道を目指した僕は、経絡治療系の学会から2つ、中医学系の会から1つ、小児はりの勉強会に絞りこみました。
その上で、鍼灸学校の入学前には、それぞれに問合せをしてみたり、実際の会に参加させて頂いたりしながら、最終的には、経絡治療系の学会1つと小児はりの勉強に専念することにしたのです。
<鍼灸学校に通うにあたって決めたこと>
それは、自分自身が運営する勉強会をつくるということです。
自分の知識や技術を高める近道は、誰かに教えることだと考えたからでした。
この勉強会は、さすがにいきなりやり始めるのは難しくて、半年間くらい自分の知識などを蓄えつつ、学校のクラスメートと交流を図っていったのです。
この勉強会は、月に1回程度、学生の頃に2年以上、卒業後も数年続けることができました。
自分の専門分野だけでなく、同級生もいろんな分野の人達がいたので、身になることが多かったです。
鍼灸の専門学校に通っていて、意外と不思議だなと思ったのが、東洋医学に対して苦手意識を持った学生が多かったことです。
僕が通っていた鍼灸学校のことだけでなく、世の中全般に言えることかもしれません。
開業されている鍼灸院を見てみると、東洋医学の知識に基づいて運営しているよりも、西洋医学の知識に基づいて運営されている治療院の方が多いように感じます。
元々、東洋医学の知識に基づいて発展してきた鍼灸の技術のはずなのに、なぜそうなってしまったのかは今でも不思議に思うところではあります。
鍼灸師である自分が、なぜ、断食を勧めるようになったのか
断食というものに出会ったのは、経営コンサルティングの会社に勤めている頃でした。
その頃は、いろいろな経営者との出会いも多く、その中でも、とてもエネルギッシュで周りへの気配りが上手な不動産系の事業をしている経営者がいたのです。
その経営者がある時、1週間くらい断食に行ってくるわと出掛けられました。
帰ってきてすぐくらいに会った時に、いつも以上に目を輝かせて、断食はいいぞ!と、心がスッキリして、すごくアイデアが浮かんでくるし、集中できるようになるとものすごくはしゃいでいたのです。
僕の中で、断食はダイエットのためにするものじゃないんだと知ったきっかけでした。
尊敬できる経営者が言っていた事なので、当然のごとく興味を持つには持ったのですが、躊躇があったのも事実です。
1週間くらい施設に行かなければいけなかったり、費用もそれ相応に掛かるし、ご飯を食べないというのもすごくキツイようにも思えました。
実際には、話を聞いただけで実践することなかったのです。
それでも、心のどこかに断食というキーワードは残っていて、気にはかかっていました。
月日は流れ、鍼灸師にもなっていたのですが、あるグループの一員から、酵素ドリンクを使って断食をやらないかと提案があったのです。
最初は、その場のノリみたいな感じでしたが、酵素ドリンクによる断食にチャレンジしてみたんですね。
グループの数名は続けることができず断念しましたが、僕やイーリスさんは断食をやり遂げることができて、スッキリする感じを味わうことができたのです。
その経験から、何度か続けていくうちに、断食と鍼灸を合わせることは身体や心に良いことではないかと思うようになっていきました。
今の僕は、愛する家族の支えで成り立っている
これまで、鍼灸や断食に出会うまでを書いてきました。
ここに至るまでに、離婚してバツイチになるという経験もしました。
失敗や挫折も多く経験してきましたが、イーリスさんを始め家族5人と過ごすことに恵まれたのです。
夫としても、父親としても、まだまだ立派だとは言えないのでしょうが、家族に支えられながらも、家族を支えられるように頑張っています。
このサイトの運営者の一人として、あなたの身体や心の健康に役に立てるように、さらなる精進をして自分を磨いていきます。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。