Natal(ナタール)プロフィール
ナタール
プロフィール
AYAMEでは、心身一如(心と身体の繋がり)を大切に考えています。
身体の不調が原因で心のバランスを崩してしまった経験はありませんか?
また、心で受けたものが身体に不調という形で現れることがあります。
ボクは、東洋医学をベースに心身の研究をしてきた鍼灸師です。
「東洋医学」というと自体聞きなれない言葉だと思います。
多くの鍼灸師は、西洋医学寄りのノウハウを学校で学び、施術に当たっています。
では、「東洋医学とは…」
森羅万象すべてのこの世の理から考える哲学的なもので、西があれば東があるという対義語とは意味合いが違います。
例えば、”日中は調子いいけど、夕方になると調子が悪くなる”という患者さんに直面した時には、陰の気に弱いのだな、陰の気を助けるアプローチをしようと方針を立てます。
お日様の出ている時間を陽、お月様が出る時間を陰と考えます。
そして、あなたが女性なのか男性なのか、今の季節は何なのか、どんな生活習慣、対人関係があるのか…森羅万象とはすべての理です。
闇雲に栄養剤を飲めばいいとか、サプリメントを飲むではなく、あなたには、あなたの特性に合った対処方法が実はあります。
1人として同じ人などいません。
誰かにとって良いとされるものも、誰かにとって良くないというのは、こういったオーダーメイド思考ではないから発生します。
よくある話は、「冷え性」だと思い込んでいる女性がしている対処方法は、逆に身体を冷やしてしまっているようなことがあります。
冷え性だと勘違いしているから、必要以上に温める作用の強い食材(例えば、生姜)や厚着などをしてしまいます。
その反作用で、イライラ度が増してしまったり、のぼせ感が強くなったり、汗をかいて身体を冷やしたりしやすくなるという原理があります。
ちょっと怖いですよね。
ですが、サイト上なので、フルオーダーメイドであなたを診ることは難しいです。
どんな人にも万能に使える方法で、身体から心にアプローチできることを中心にボクは記事を書いています。
よかったら、もう少しボクのことを知ってください。
ボクの生い立ち
1974年12月30日に岩手県で生まれました。
母親が岩手県出身で、里帰り出産のため生まれは岩手県です。
9歳下の弟が生まれるまで、父親とはあまり面識のない家庭環境でした。
父親が家に帰ってきても「このおじさんだれ?」と言うような子だったと母親から聞きました。
だから、家に帰ってこない父親のせいで、いつも母親が何かと苦労していた姿を覚えています。
9歳下の弟が生まれると知った時は、嬉しくてたまりませんでした。
ボクは”げんき”って名前を付けようと思っていたのに、全然別の名前に決められていて、大きなショックを受けたものです。
小学生の頃いじめにあっていた
小学校3~4年生頃、ボクはいじめにあっていた記憶があります。
理由は、忘れてしまいました…。
でも、覚えているのは、ある日突然、全員から無視をされたりするような悲しい出来事でした。
ボクは、何を間違えたのかもわからないまま、親にも言わず、黙って耐え続けていました。
そんなある日、石黒君という子がパーティーに呼んでくれたんです。
不思議ですよね。
ボク、みんなから無視されていたのに誘われるなんて…
そのパーティーに行ったら、何か誤解がとけたのか、みんながまた話してくれるように戻りました。
でも、そのパーティーは、石黒君のお別れ会でした。
石黒君は、別の学校へと転校してしまい、ボクは「ありがとう」と伝えることもできずにいます。
この場をお借りして…
石黒君、あの日、ボクを誘ってくれてありがとう。
石黒君のお陰で、ボクの学校生活が元に戻りました。
石黒君がいなかったら、ボクは、ずっとみんなに無視されたままだったかもしれません。
どんな想いを持っていてくれたのかわからないけれど、ボクは救われました。
悲しい思い出を胸に…
ボクは、中1の頃から新聞配達をしていました。
あまり裕福ではなかったこともあって、自分にかかるお金は、自分で稼ぐというような感じでした。
ちょうど、やんちゃ坊主だった学生時代、悪さもしながら仲間たちとワイワイやっていました。
今思えば、恥ずかしいことも多々ありますが(笑)
高校生のある日、幼馴染をバイク事故で亡くしました。
学校も違ったけれど、またいつものようにバカやれると思っていた日は、突如終わりを告げたんです。
ボクは二度に渡って衝撃を受けました。
幼馴染のお姉ちゃんが弟の死を機に医師を志し、達成したという強い想いです。
きっと、当時の医療では救えなかった命を救えるようにと思ったのでしょう。
20歳頃、従兄弟も車の事故で亡くしました。
ボクもバイクで事故ったことがあったけど、幼馴染が守ってくれたのか…鎖骨を折る程度で済みました。
仲間を失うという経験は、今でも思い出すと切ない気持ちになります。
母親の余命宣告
ボクは、「あなたと結婚したい」と逆プロポーズされるような女性と出会い結婚をしました。
でも、どんどん冷え切っていく夫婦関係…
子供もいなかったため、繋ぐものもありませんでした。
そんなある日、母親の余命宣告を聞かされます。
あと半年です。
神様は、なんて無常なんだと思いました。
就職と同時に家を出て、あまり家に帰らなかったけれど、母親は偉大です。
ボクは、必死に何とかできないかと足掻きました。
たくさん調べて、医師に提案をするも、母親の状態では幹細胞移植も意味がないと却下されてしまうのです。
母は、骨肉腫という癌でした。
もっと早く5階までの階段の上り下りが大変だという話を聞き出せていたら…
自分を悔いて責めていた時もありました。
母の同僚を呼んで鍋パーティー…母がしたいと言うこと、思い出をつくることに必死でした。
酸素をつけたままでしたが、同僚と楽しそうに鍋を囲んだことは今でも鮮明に覚えています。
そんな母は、2007年1月27日深い眠りにつきました。
弟は、深い悲しみからうつ病になり、ボクの元で同居をするようになり、夫婦関係はますます亀裂が入っていきました。
ボクは、母が亡くなったその年に鍼灸師になることを決意します。
幼馴染のお姉ちゃんじゃないけれど、西洋医学に希望がないのなら、東洋医学を自分のモノにしたいと思ったんです。
悲しみが癒えないまま、ボクは、離婚をすることになり、弟と家を出ました。
失敗の中で得た幸せ
母の死に離婚と、心の拠り所をすべて失いながら、ボクは、アルバイトをしながら生計を立て、学費を捻出する日々を送っていました。
学校では東洋医学なんて教えてくれないから、漢方鍼医会に所属し、師匠の元で腕を磨きました。
師匠は、盲目にも関わらず、ボクのいろんな弱点を当てたり、治療をしながらボクを育ててくれました。
たくさん叱られたけれど、師匠の背中は今でも忘れません。
ボクは、下積みをした後に鍼灸院を開業します。
そこで、出逢ったのが今の妻のイーリスさんです。
でも、ボクの鍼灸院は上手くいきません。
立地も悪かったし、運営のノウハウも足りなかったんだと思っています。
ボクの小さなプライドを黙って支え、借金まみれになっても笑ってくれる妻と家族がいます。
たくさんの苦労もさせてきたし、ボクのわがままも、寂しさも聴いてくれる。
今は、まだ順風満帆とは言えないですが、それでも、やっと…幸せだと言える日々を迎えることができるようになりました。