友達だと思っていたのに…わかってくれない…裏切られた…手の平を返された…
いろんなことが起きるのが人間関係においてですよね。
では、冒頭の段階ですが、質問したいと思います。
『あなたの思う友達って一体どういうものですか?』
人間関係で大切な要素を含むもの…その中でも、友達という存在は、大きな立ち位置を持っていると思います。
では、この「友達」というものについて、一緒に考えてみましょう。
自分の思う「友達」というものを、まず分析してみよう!
まず、辞書的に解釈されている友達と言う意味は、互いに心を許し合って、対等に交わっている人・一緒に遊んだりできる人という意味が書かれています。
みなさんが考える友達って、冒頭でも質問をしましたが、どんなものですか?
- 電話・メール・LINEが出来る人
- いろんなことを話せる人
- 一緒に出かけられる人
- 同じ趣味のある人
- 自分のことを理解してくれる人
- 困った時に相談できる人
こんなことが思い付く人も多いのではないでしょうか?
でも、これって…
質問をすると、こんな感じで答えられるかもしれませんが、自分が友達に、友達が自分に取っている態度って、実際どんなものでしょうか?
結構当てはまる!お互い取っている行動は「都合の良い人」
友達の意味合いは、心を許し合って対峙できる人という意味でしたよね。
その心を許し合ってと言う部分…
本当に心を許し合っているのでしょうか?
社交辞令の「友達」って、結構迷惑ですよね!
いつからこんなに「友達」って、万能な言葉として使われるようになってしまったのでしょうか?
相手の事を「友達」なんて思っていない。又は、「友達」としての行動を一切しないのにも関わらず、社交辞令というグレーな風習が不思議でなりません。
先日もあったのが、「久しぶりだよね~!元気?」という同級生からのLINEです。
何かと思えば、同窓会のお知らせ。
都合上日程を合わせられないし、何よりも、忙しい私…
同窓会を断ると…それだけの連絡じゃバツが悪いと思うのでしょうか?
普段連絡を取らなくなって、10年以上が経ちました。
日常的なやり取りもおろか、タイムラインもいつしか、非表示にされた私…
「今度会いたいね~!」
という、相手からのメッセージ…
こういうことって、よくあることですよね。
個人的なやり取りをしていないのだから、事務的なやり取りだけで十分なのに、連絡取ったついでに果たさないであろう約束まで取り付ける…
単に、忙しくて連絡を取り合わない人と、連絡を取る価値に値しないと判断して、去って行った人では意味が違いますよね。
また、後者のタイプの人は、自分の利益になるためには、再度近づいてくることもありますよね。
「私たち(僕たち)親友だよね!」と、言えば言うほど…嘘くさい?!
「私たち(僕たち)親友だよね!」
そんな言葉を交わし合った経験のある方も多いものと思います。
その発言通り、その相手と現在も続いている方って、どのくらいいらっしゃるんでしょう?
そう尋ねると…
「あっ、そう言えば…親友だと思ってた人に裏切られたことがある…」
「いつしか、親友とは疎遠になったな…」
そんな風に答える方も、少なくないと思います。
親友だよね!と言う言葉は、簡単に言葉に出てきますよね。
しかし、その言葉通りに、生涯付き合っていける相手と言うのは、そんなに居ないものだと思います。
一時期、密に付き合っている人がいると、唯一無二に感じやすいものです。
親友とは、字のまま解釈すると、特に親しい友達と言う意味ですよね。
「友達」と言う言葉は、相手を自分の都合の良い呪縛に貶める言葉になっていませんか?
「友達」という言葉の効力は…
とても嬉しい言葉ですよね!
自分と繋がり合える人がいるという安心を買うような言葉ですよね。
でも、これを悪用するケースって多くないですか??
私は、あなたの友達だよ!
と言う言葉で、相手を信用させて、聞きたい情報を得ようとする輩もいますよね。
平然と裏切っていく人
離れていく人
いろんな人がいるのも事実です。
でも、そういうのもひっくるめて、すべてを「自分の友達」という表現にする人もいると思います。
逆に、友達がいないと言う人もいるでしょう。
話が少しでも出来るようになったら、その人は「友達」
相手が同じように想っているかは、別として…
敬語から、親しい言葉で話せるようになったら、その人は、他人ではないという解釈をします。
そして、他人から昇格した人は、「友達」という役職に昇進です。
顔見知り、知り合いという言い方よりも「友達」というのは、便宜上でも使いやすい言葉ですよね。
でも、相手の事がよくわかっていないうちに親友・友達という括りにしてしまっている人は、多いのではないでしょうか?
顔見知り・知り合い程度の付き合いなら、控えめに話さなければいけない相手であるという境界線を持たない方も多いです。
逆に、早期に「友達だよね!」と、言われたら嬉しい人だって多いでしょう。
これこそが、先ほど書いた自分の都合の良い呪縛に貶める言葉になるものです。
出会って間もない頃に、友達だと言われれば、嬉しくなることもありますよね。
新しい友達が出来た☆
本当は、話の出来る人が出来た。
そっちの方が正しい意味合いを持っていませんか?
何よりも、友達が沢山いることは、お金持ちのような錯覚を与えている部分があるように思えてなりません。
さて、サラッと、友達・親友だよね!という言葉を使い過ぎていないかな?という点について触れましたが、ここから、心理的な部分を一緒に考えていきましょう。
友達と言う存在は、「あなたの都合の良い存在ではない」
何で友達に疑問や嫌悪感・猜疑心を抱くのでしょうか?
それって、「友達」の定義から外れ始めていますよね。
さらに探っていきましょう!
友達って、あなたが困った時の存在ではない!!
自分が辛い時、あなたは…誰かを頼りにしたくなりませんか?
でも、これって、一方的に相手の都合を考えることなく、頼ってしまうことってありますよね。
「友達」という役職を与えられたら、困り事にいつでも対応しなければいけないというのは、理不尽ですよね。
そんな役回りを友達という括りにするのは、間違っていませんか?
誰かに聞いて欲しい
慰めて欲しい
救って欲しい
○○して欲しい
わかりますよ!
でも、相手にも立場や都合がありますよね。
自分が辛くなり過ぎると、見境なくなってしまうことも多いですよね。
ちょっと、自分の行いが自分勝手すぎていないか、友達と言える相手であるならば、もっと思い遣りを持った行動を取ってもいい事があるのではないだろうか?
そんなことを考えてみる必要があることって、振り返ってみるとありませんか?
友達に出来ることって、一体何だろう?
家族でもない友達が出来ること…
それは、共感を示すことがやっとではないでしょうか?
お金に困った友達を救うこと…
現実難しいですよね。
心配をすることしかできない存在です。
相手が喜ぶことをしてあげることもできますね。
アイディアを伝えることもできますね。
でも…それくらいしかできないものです。
友達に依存するのも、時にはいいかもしれないけれど…
友達があなたのために犠牲になるのは、良い事とは言えません。
出来ないものは、出来ない。
あって当然のことです。
究極は、お金の援助が出来るか…みたいなところが人にはありますよね。
男女間でも、お金がない人とやっていけるかどうかという問題は、既婚者であれば、離婚に発展するような問題にもなります。
夫婦と言えど他人。
友達ならば、もっと他人です。
あの人と「仲間」という意味合いの方が、ずっと上手くいく♪
友達には、何かと求める傾向があると思います。
でも、「仲間」という呼び名に変えてみたら、どんなニュアンスに変わるでしょうか?
「仲間」だから、同じ共通点を楽しめる♪
「仲間」ってニュアンスって、「友達」と比べてみたら、とても楽な印象に変わりませんか?
同じ共通点があるということは、一緒に趣味を楽しむことも出来ますよね!
何か同じ物があるから、「仲間」という括りが出来ます。
野菜で例えたら、色・形・大きさ…いろんなものが違うのに、みんな野菜という所属の仲間です。
カレーの定番の野菜は、じゃがいも・にんじん・たまねぎです。
この3つが合わさるから、お肉の味も引き立って、野菜の旨味も足されて、みんなが大好きなカレーに変身するんですよね。
カレーという料理を達成させるために集まる仲間です。
どれかが、欠けてしまったら、あの定番の味にはならないわけです。
人で考え直すと…
- カラオケを楽しめる「仲間」
- 飲み会を盛り上がれる「仲間」
- 共通のアーティストが好きな「仲間」
- 買い物に一緒に行ける「仲間」
このような感じに置き換えてみると、全てを重複する人もいるかもしれませんし、全てバラバラの人と行動するかもしれませんよね。
そして、何より「友達と仲間」の違いは…
「友達」…義務である意味合いに変わる場合がありますよね。友達なのに○○してくれないという愚痴になったり、付き合い悪い!と不満を言われてしまうことも…
「仲間」…義務感が一切感じられませんよね。一つ一つのジャンルで、考えることをしやすいですよね。すべての共通点を持つ必要もなくなるので、気持ち的にラフになります。
「仲間」という括りを持っておくと、良いライバルにもなれる!
「友達」という括りだと、何だか、1人だけずば抜けて何か出来てしまうと、アイツは、嫌な奴!みたいなニュアンスで捉えられることもありますよね。
でも、それが「仲間」であると、一味違いませんか?
○○を一緒に頑張っている仲間
そんな意識を持っていると、とってもいい刺激になります。
私事で言うならば、ママ友よりも「戦友」と呼び合う人がいます。
彼女とは、まだ1年ほどの付き合いですが、「友達」とは、一味違った、近くて遠い存在でお互いいます。
同じような境遇で苦しんでいることもあり、励まされることも沢山あります。
逆に、相手が苦しんでいる時は、励ましてあげたいとも思います。
家が近くなのもあって、お互い家事は、ライバルのようにこなします(笑)
相手より、先に洗濯物を干せたら…ちょっと誇らしい(笑)
相手より、遅れを取ったら、ちょっと悔しい!
相手と、ベランダ越しに会えたら、ハッピー!!
そんなのが「戦友」ですね。
こんな意識を持ってみると、毎日が楽しくなるものです♪
重荷を相手に背負わせない意識を持つことが大切♡
友達・親友というものが、悪い訳ではないんですよ。
でも、所詮…
いざとなったら、人は、独りです。
先ほども、友達と言えど…救えない境界線はあるものです。
でも、その境界線の持ち方と言うのは、個々で違うものですよね。
先ほどの究極論でいくのなら、お金に困った自分に対して、お金を都合してくれない人は、友達でないと考えるかもしれません。
失恋をして辛いのに、相手は、幸せそうにしているかもしれません。
時に、自分の態度に、叱責するような相手を疎ましく思うかもしれません。
あらゆるシチュエーションで、孤独を感じることは、日常茶飯事です。
そんな時にどうしますか?
あいつは、わかってくれないから、裏切者だ。
冷たい奴だ。
そんな暴言を吐きますか?
「友達」という役職を持たせると、万能なことをしてくれる人かのように捉えやすくなってしまうと思います。
過度の期待が出ますよね。
決断と行動をするのは、自分自身です!
今回のコラムで一番伝えたかったこと…「友達」という言葉を軽はずみに使うのを辞めよう!!!
「友達」って、言葉の意味は、何でしたっけ?
互いに心を許し合って、対峙していける人でしたよね!
その意味合いから、外れてしまっている人の大半を友達や親友と呼ぶ傾向が強いのが今ですよね。
親しく出来る人がいると嬉しくなって、つい深入りしてしまったり、過度の期待をしてしまったり…
でも、究極の時には、頼りになる存在ではない…そこでショックを覚えてしまう。
それならば、気軽に楽しい事を共有できる「仲間」として考える方がよっぽど賢く付き合っていけると思います。
ちょっとしたことで、言葉の意味にまで達していないのに現代は「友達」と呼ぶことが多いです。
辞書的な意味よりも浅い領域から「友達」と表現するようになりましたね。
それと同じで「親友」という表現も浅いところからしてしまっていると思います。
もう一度見直してみませんか?
あなたが「友達」と感じている人たち、本当に大切にしていますか?
「仲間」として括ったら、大切に出来る物事も増えると思います。
[aside type=”yellow”]先述した同窓会の話に置き換えてみると…
○○ちゃんは、高校の時の「仲間」
久々に会えたらいいね!って言ってもらえたから、実現させれる日が来たら、楽しもう♪
そんな風に解釈できると思いませんか?
[/aside]
「友達」という枠に当てはめる前に、純粋に「人」として、周りの人たちを大切にすることから始めよう♪
[topic color=”orange” title=”友達と上手くいくコツ”]
・本当は誰にも友達なんていない!求めているものは「その場の都合良さ」かも
・友達の人数が少ないのは問題?数より分かり合って、感謝し合える関係の方が大事!
[/topic][topic color=”blue” title=”友達の顔色をうかがってしまう”]
・遊びの誘いを断れない自分、自信がない、相手に悪いとの思いからの脱出
[/topic][topic color=”yellow” title=”仲が良かったはずの友達とはどうする?”]
・「友達を許せない」理解できなくなったら、友達やめるは正解?
・仲良しな友達のはずなのに違和感?!意地悪を言われる…そんな時の対処法
・仲が良かったはずなのに今じゃ嫌いな人との付き合い方のコツはたった1つ!
[/topic]
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