あの人が、自分のことをどれだけ大切に思ってくれているかなんて量ることはできないし、自分が相手のことを好きか、嫌いかで判断するなら、嫌いではない。
けれど、人を愛することがわからない。
そう感じた時、何とも表現できないやるせない気持ちが湧いたり、未来への不安や人と向き合うことへの恐れなど、様々な感情が一緒に湧き上がってくるかもしれませんね。
愛するということは、他者だけでなく、自分に対しても大切なことです。
近年、愛着障害、自己愛性パーソナリティ障害などに当てはめる傾向がありますが、病気として一括りにせず、どう向き合うべきかを当サイトAYAMEでは考えていきたいと思います。
人を愛せない人の特徴と心理に定義などない
私は、幼少期の家庭環境に恵まれてきませんでしたし、そこには、大きなトラウマもたくさん抱きました。
だから、1つの事実としてお話したいことがあります。
しかし、幼少期の育ち方やトラウマの抱き方は、あらゆる対人関係に影響を及ぼすことも事実です。
人を愛せない原因は幼少期の家庭環境にあるのか?
人は、持って生まれた個性だけでなく、幼少期の家庭環境や育つ環境は、人格形成に大きな影響を与えると言われています。
では、環境が及ぼす影響というものを考えてみたいと思います。
家の中でしか生活していないうちは、年齢も幼く、外部の情報に触れることもなく、自分の家庭環境に異常があると感じることはないと思います。
そして、保育園や幼稚園、学校と外の世界を知るにつれて、自分の家庭環境に違和感を覚えていくようになるのが通常です。
うちと違って、よその家のお母さんやお父さんは、いつも笑顔で優しい。
よく怒られて育った子が感じやすい気持ちです。俗に言われる毒親や過干渉も含まれるでしょう。
うちと違って、よその家のお母さんやお父さんは、いつも仲が良い。
夫婦喧嘩の絶えない家庭で育った子が感じやすい気持ちです。
家に帰っても、自分はいつも独りぼっちだ。
共働き家庭で留守番が多い子が感じやすい気持ちです。
しかし、見落としてはいけない事実があります。
よって、すべてを満たした環境を用意することは不可能である。
詳しい見解を書く前に、環境の中に存在する「トラウマ」についても考えてみたいと思います。
人を愛せない原因は大きなトラウマのせいなのか?
過去に心に印象深く残る衝撃的な出来事というのは、誰しも多かれ少なかれあると思います。
その中でも、一際、頭にこびりついて離れない状態で苦しむことをトラウマと呼ぶのではないかと思います。
そういった衝撃的な出来事によって、人を愛することが怖くなってしまったり、極端な裏切られ方をすれば、また人を愛することが怖くなってしまうということが起こることも自然なのかもしれません。
- 両親の離婚
- 酷い振られ方をした
- 浮気をされた
- 大きな裏切りに遭った
- 虐待や暴力を受けたなど
このような経験が障害物のように立ちはだかって、人を愛するという関係を構築できないこともあるかもしれません。
人を愛せない理由を考えるあなたは人を愛せる人です
人の愛し方がわからない
そう考えるあなたは、人を愛せる人だと私は思います。
だって、本当に人を愛せないのだとしたら、人を愛せないことを問題視する必要なんてないと思うんです。
どんなものに例えても、答えは同じだと思います。
■虫を愛せない人が、虫をどうしたら愛せるかと考えることはないと思います。
■動物嫌いな人が、動物をどうしたら愛せるかと考えることはないと思います。
■嫌いな食べ物をどうしたら食べられるようになるか考えるのは、必要な栄養素があるからだと思います。
好きでもないこと、嫌いなこと、興味のないことをわざわざ考えることってしないと思うのです。
それなのに、あなたは、人を愛せないことについて考えていますね。
なぜ、考えるのでしょうか?
それは、愛せないのではなくて、
上手な表現ができないだけなのではないでしょうか?
または、
信じてもいいのか不安なのではないでしょうか?
さらには、
幸せになることが怖いのではないですか?
人を愛せないことにこだわらず、自分も他者も大切にしていく心得
私たちが錯覚を起こしやすいことは、何が正しいのかもわからないのに「自分」や「他者」のことを判断しているということです。
上手に愛せないことを病気や障害のせいにしてしまったり、過去の環境や出来事のせいにしてしまったりするのです。
もし、その通りだと言うのなら…
私は、結婚をすることも、子を産み育てることも、再婚をすることもなかったはずですし、このサイトも存在しなかったと思います。
私自身、育った環境やトラウマが苦しかったのは、乗り越え方や受け止め方がわからなかったからです。それで頭の中はずっと混乱したままで、対人関係にも影響をしていたことは認めます。
どちらかと言えば「人を愛せない」というのは、表向きの言葉で、本当は誰かに「愛されたかった」その想いの方が強かったです。
「愛」へのこだわりがあると、対人関係は上手くいかないことが起きます。
歪んだ形で、愛を確認してしまったり、相手への強要が強くなります。
自分への愛情を向けることもできないので、いつも卑屈で後ろ向き、ネガティブな発想で埋め尽くされてしまいます。
今から、1つ1つ経験して知っていけばいいのです。
どうしたら人が喜ぶのか、どんな時に笑顔になるのか…自分も同じです。
新しい記憶、新しい経験をどんどんインプットしていくことが、自分のことも他者のことも大切にしていく大事な心得です。
過去に受けたことだけ、どこかで思い込んだことだけをベースに生きていたら、何も変わっていきません。
まとめ|自分も他者も大切にしていこう
最後にまとめますね。
人は、幸せになるために生まれてきます。
不幸になるため、不幸を経験するために生まれてくる命は、どこにもありません。
あなたを不幸に陥れた人がいたかもしれません。
でも、その人も、どうしたら幸せになれるのかをきっと模索していたはずです。
私が、幼少期の家庭環境やトラウマを乗り越えられたのは…
人生、器用に生きられたら苦労しませんね。
もがくからこそ、その先にある何かが愛おしく思えるものです。
もっと、素直に生きればいいんですよ。
そうすれば、自分のことも、他者のことも大切にできます。
人を愛せないのではなく、今から「愛し方」を模索して行けばいいのです。
きっと、正解だ!と感じられる手応えを見つけられます。