明日も明後日も一緒にいると信じていたのに…あの人は、簡単に自分といる未来を捨ててしまった。
あんな人を信じた、見る目のない自分を責めちゃう。
そんな時、ふと考えるのは…
あの人は、私と離れて、どんな人生を送っていくんだろう?
私じゃない誰かと楽しそうに過ごしていくのかな?
それとも、私を無下にした罪でドン底に落ちていくのかな?
こんにちは。
何度、人から裏切られたかわからない人生を送ってきたのは、AYAMEナビゲーターのイーリスです。
裏切った相手なんて、地獄に落ちちゃえばいいのに!とか思っちゃうこともありますよね。
でもね、それって、あなたが、あなたの価値を知ってる証拠かもしれませんよ!
今日もあなたに寄り添ってお届けします。
なぜ、裏切った相手の「末路」が気になるのか?
今頃、何をしてるんだろう?
何を思うんだろう?
裏切った相手のことばかり、気づいたら考えちゃっていませんか?
「忘れたい」と思っても、忘れられない。
「大嫌い」と思ったのに、また考えてる。
どんなけ、自分よ、裏切った相手に執着してるんだよ!って、思わず、ツッコミができちゃいそうな自分に気づいたことはありませんか?
でもね、それって、正常な反応です。
あなたが、嫌いになったとか、嫌気がさしたわけじゃない。
あなたは、明日も明後日も、今の関係が続くと信じていたんです。
もう1つは、「依存」が関係しているかもしれません。
でも、恐れなくて大丈夫。
それだけ、あなたにとって、身近で、大切に想う人だったという証拠です。
好きだった分、腹が立つんです。
大切だった分、ショックは大きいんです。
大事にしようとした分、悲しいんです。
気持ちが大きいほど、裏切った相手の末路は気になるものです。
裏切った人は「罰」を受けるのか?
では、裏切った人は「罰」を受けるのでしょうか?
人の不幸を願ってはいけないと言いつつも、何か、代償を払うことにでもなれば、報われると思っちゃいますよね。
この答えは、因果応報なので
いわゆる、罰を受けるのであれば、最良のタイミングで受けることになります。
どういうことかと言うと…
相手がポジティブな選択をして、あなたと距離を置くことを決めていたとするのなら、そもそも、あなたは「裏切られた」という認識をすることはなく、「応援」という結果があったと思います。
仮に、あなたに嫌気がさして相手が離れて行った場合は、相手の末路は、不幸にはならないかもしれません。
しかし、あなたを貶めようとしていた場合は、その報いが返ってきて、貶められることになるでしょう。
これが、相手の最良のタイミング(実際は、最悪なタイミング)で訪れます。
でも、これをあなたが待ち望むと、あなたが不幸になるので要注意です!!
たとえば、あなたが手を差し伸べていたとします。
でも、相手は、その手を振り払って去って行った。
去って行った当初は、新しい環境でぬくぬくと過ごすでしょう。
もし、あなたが救世主の役目をしていたとするのなら、相手はその手を離したのだから、その手が必要だと感じた時には、その手はありません。だから、そのタイミングで、困ることになるでしょう。
だから、罰という言い方もできると思いますし、後になってはじめて、あなたを裏切ったことを後悔する日を迎えることになります。
あるいは、その手の価値さえわからぬまま、過ごすことになるのかもしれません。
裏切った人の末路をスピリチュアルな視点で考察すると…
もうちょっと、スピリチュアル視点で考察してみましょうか。
そもそも、波長の法則で人との繋がりが生まれます。
類は友を呼ぶです。
同じ周波数の人と出会い、周波数がズレると別れることになり、また、自分の人生のカリキュラムに相応しい相手と出会う…という循環があります。
この見えない世界のルールから、裏切った相手をピックアップして俯瞰して見ると…
裏切った相手の予測が付くことってありませんか?
それは、相手の持つ対人関係を考察してみることです。
相手は、どんな人といることを好みますか?どんな思考性ですか?
私のケースで1番わかりやすい事例を挙げると
「私が羨ましいと思うような相手」といる道を選択したという経験はありません。
意地を張っているわけではありませんよ(笑)
私と未来を開拓する道を選ぶよりも、今、何も考えずに、ただ現実逃避ができる環境を選び、私から去って行った人がいます。
今が良ければそれでいい。
その判断に私は負けました(笑)
そんな人が、幸せな結末を迎えると思いますか?
そのまま過ごせば、先延ばしにした分の代償を払うのは、その人自身です。
そこから、幸せな結末を迎えようと思えば、並大抵の努力では足りないはずです。
でも、「うさぎとかめ」のイソップ寓話を教訓にしなければ、自分が追い抜かされる未来もあるかもしれないので要注意です。
別の人たちを思い浮かべてみたのですが、今の自分からしたら、どれも羨ましくもない結果の中で生きているように見えます。
まだ、集まって悪口を言い合っているママ友集団があったり、私から彼氏を奪って結婚した女性は、幸せそうな顔をしていない。どちらも、私に対して勝ち誇った顔をしていたのに…今の私から見れば、つまらない世界にいるんだなと感じたり、奪ってまで手に入れた幸せじゃなかったのかな?なんて思います。
つまり、自分の生き方次第で、未来は変わります。
あなたが、裏切られたことで、もっと良くなる道を見つけた!そう言える未来を送ればいいのです。
もしも、ママ友集団にハブられて、私が悲しみの中から立ち上がれなかったら、今も呪って生きていて、楽しそうに集まるママ友たちを羨ましそうに眺めていたことでしょう。
また、当時の彼氏を奪われても、気持ちが切り替えられず、ずっと忘れられないでいたら、私は結婚することもなかったと思います。
だから、スピリチュアル視点で考えると、相手の末路は、あなたの生き方にも関わってくるということを覚えておいてください。
もうちょっと、人との縁について深堀してみましょう。
人との縁をスピリチュアル視点で考えてみると…
私たちは、どうして仲良くなる人と、ただ通りすがるだけの見知らぬ人とに分かれるのでしょうか?
広義の縁で考えれば、世界中の人が「今」という時を一緒に生きる仲間です。でも、そんなに広い視点で見てしまえば、日常的に関わらない人がほとんどです。
私たちは、学生時代を終えると、学校にいるという概念はなくなりますが、人生の移り変わるステージは、学校にたとえるのが1番わかりやすいと思います。
その学校は、あなたの人生に必要なカリキュラムとして、見えない世界から用意された「目には見えない学校」です。
今、自分がいるのは、小学校かもしれないし、大学かもしれない。
けれども、学び終わる時は、人生の終わりを意味するので、その学校は80年生という無限の進級をします。
名前を呼び合ったり、連絡をし合ったり、同じ時間を共にする人は、どんな人なのかと言えば、同じ授業を受けたいと思った人、あるいは、同じ学科で勉強をしたいと思った人です。
そして、縁が途切れてしまう人は、どちらかが、そのカリキュラムを学び終わって進級、あるいは進学したか、学びが足りなくて留年したかのどちらかです。
これが、人の縁をスピリチュアル視点で見るカラクリです。
同じ授業を楽しんだり、同じ授業に不満を漏らしたりしているうちは、縁があります。
でも、どちらかが、もっと高度な学びがしたいとか、もうついていけないと離脱してしまえば、縁が途切れてしまうのです。
さて、あなたは、今回の裏切り、どちらの結果だったと思いたいですか?
あなたが留年したと考えるよりは、あなたが進級、進学したと考えたいですよね!
それは、あなたの運気を左右する話でもあるのです。
あなたが相手の不幸を願うと、あなたが不幸になる
スピリチュアル視点で考えていくと、裏切られたという気持ちに焦点を当て続けることで、あなたは不幸になり、相手のことを呪ってしまえば、そのツケは、あなたの方に課されてしまいます。
非常にシビアな力が働いています。
相手の不幸を願えば、あなたは不幸になります。
なぜ、不幸になると思いますか?
相手を恨んでいれば、いつも、口からは不平不満が出ます。それを聴いてくれる人がいたとしても、いずれ、その毒に嫌気がさして離れて行くかもしれません。
恨み節って、誰が聴いても心地良くないんですよね。
何より、それを聴いているのは、あなた自身です。
もっと、客観的に見てみましょうか。
恨みつらみを言っている人は、うつむきがちで、表情は曇り、口角は下がって、怒りに満ち溢れていたり、目は輝きを失います。
その状態でいれば、どんな幸運に恵まれたとしても、きっと気づくことができません。
美しい景色が目の前に広がっていたとしても、それを見ようともしないでしょう。
でも、幸せになるために一歩ずつ歩こうと決意した人は、美しい景色にきっと気づきます。
悪いものを引き寄せるという脅しだけではなく、現実的なことさえ損をするのです。
相手のことを考え続けて、眠れなくて、身体を壊すのも自分です。
なぜか、悲しい思いをした自分の方が不幸になっていくのです。
理不尽に思うでしょうが、その一歩先にある光、景色を見ようと思うのなら、もうちょっと山を登った方が見やすいはずです。
悲しいという経験がなければ、嬉しいという経験には気づけません。
悲しいが麻痺することはありませんが、嬉しい、幸せという感覚は麻痺して、わからなくなるのです。
だから、悲しい経験は、あなたが素晴らしい景色を見るためのチャンスです。
まとめ|あなたが幸せになるために少しずつ手を離そう
自分の頭で納得ができるかどうかって、私自身も事象次第です。
長く引きずることもあるし、短期間でスパッとできることもあります。
でもね、ちょっとずつ手を離すことだけはしてみてほしいんです。
足をすりむいて、お風呂に入る時、その足をどうするか悩んだことはありませんか?
お湯につけないのも選択ですが、真冬で寒い場合は、どうにかしてお風呂に浸かりたい。
そんな時の裏技は、手でしっかりと傷口を覆って、ほんの少しずつ手を離すことです。(水を出しながらだと、より手が離しやすいことを知っていますか?)
あなたの裏切られた悲しみという執着も同じ。
手を離すのは怖いけど、ちょっとずつ、ほんの少しずつ、誰かの助けを借りながらでもいいから、手を離していこう。
傷口がしみるなら、もう一度、手で覆えばいい。
ちょっとずつ、慣れてくれば、しっかりと手を離せるようになります。
手が離せることに気づけたら、そこには、笑顔の自分が待っているはずです。
つらかったおかげで、恵まれた幸運に気づけるようになります。
そう、あなたが幸せであることが最大の復讐。
あなたが、そこに居続けなくてよかったと言える未来を歩いていることが、最大の復讐です。
私は、いつも感謝しています。
私を強くするための悪役を担ってくれてありがとう。
私が新しく学んでいけるための道へ突き飛ばしてくれてありがとう。
そう言える人生を送った方が、楽しいと思いませんか?
その時、振り返ってみたら、裏切った相手の末路がどうなのかわかります。
人生は勝ち負けではありませんが、あなたが誇らしい人生であることが1番です。
悲しみは、糧に。
私も時間はかかったけれど、歩いてきました。
歩けた人は特別ではないし、歩く勇気を持つことが第一歩です。
大丈夫。
あなたも歩けます。
ちょっとずつでいい。
休んでもいい。
裏切りは、糧にしよう。
AYAMEナビゲーターのイーリスでした。
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