「心配してるよ」は、鬱陶しい干渉と思われるマイナス行動

  • 2018年9月18日
  • 2019年10月28日
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「ねぇ、大丈夫なの?心配なんだけど…」は、

誰が誰に対する言葉なんだろうか…。

 

つまりは、“言った人が安心したい言葉”“言った人が心配する自分に酔っている”のだ。

 

これを確信と取るには、あと1つ…“言われた側の言葉を聞いていない態度”があれば、それは、心配などしていないと捉えていいかもしれない。

 

人のことが気になって尋ねるのに、尋ねた返答は無視で、過去のイメージで「あなたは心配されるべく人」、「私は、あなたを心配する優しい人」なんて、本当にいい迷惑だ。

 

[topic color=”blue” title=”こんなあなたに読んで欲しい”]

人のことが気になって、つい心配していると過度に言ってしまうあなた。

人から、心配していると言われるけど、安心して欲しいの意味が伝わらなくて困るあなた。

[/topic]

 

【AYAME2コマ劇場】

1.最近気になっていたと声を掛けてくるが、過去の何かの出来事のまま、相手は時が止まっている。

2.どれだけ話しても、自分は「もう大丈夫だよ」が、相手に一切伝わらない。

 

 

心配していると言う側をYさん

心配される側をNさんと、分かりやすいイニシャルを用いて展開していこうと思います!

では、どんな展開が待っているのでしょうか?

 

 

人の記憶は、どこで止まる?一度インプットされたら、訂正されないのかな?

 

あなたは、人から聞いた話をどんな記憶で覚えていますか?

また、その記憶を塗り替えることは、可能ですか?不可能ですか?

 

単にこんな質問をされても、何を言っているかわからないかもしれませんね。

 

心配症のYさんは、人のことを気にすることで、自分に優越感を感じるタイプです。

 

その優越感は、「あなたのことをいつも心配しているのよ!」と伝えることに満足を覚えています。

 

そして、そのプログラミングされた内容は、簡単に訂正されることがありません。

 

Yさんにインプットされた記憶は、Nさんの過去の情報です。

Nさんは、精神的に弱っていることをYさんに吐き出した経験があります。

ここから、今回のテーマとして問題になるのが、

過去に人から聞いた情報…人の記憶は、更新されないのか?

 

という問題と

 

誰かの「現在」を受け入れることはできないのか?

 

この2点がテーマです。

 

つまり、他人を認めることができるのか、できないのか…そんなことを考えていきたいと思います。

 

 

Nさんは、Yさんにこう訴えます。

「私は、もう元気!大丈夫なんだよ!」

 

あなたは、このNさんの言葉…どう受け止めますか?

 

 

【心配性は度が過ぎれば迷惑行為】他人の現在が受け入れられない人は…嫌われるかも

 

誰にだって、良い時もあれば、悪い時もあるものです。

心が弱っていれば、誰かに頼ってしまうこともありますよね。

でも、その時に聞かされた方は、情報が更新されずストップしてしまうことがあるのです。

印象に残るような内容であれば、仕方のないこともあるかもしれませんが…それで済んでいくのでしょうか?

 

 

他人を心配する気持ちは、応援する気持ちが相棒でなくてはならない

 

仲の良い関係の間柄だと、心配する気持ちも、応援する気持ちも両方持ちますよね。

 

でも、ある瞬間のインパクトの大きさは、人に大きな影響を与えることもあるのは事実です。

 

しかし、誰にだって、人生最大のピンチに陥るような瞬間だってあるものです。

 

そんな時、あなたがピンチを救う救世主だったり、ピンチの当人だったり…どちらの立場かで話は大きく変わってきます。

 

また、別の視点では、相手のピンチを自分の物差しで見た時、軽蔑するということもあるかもしれませんね。

 

<「心配している」の意味の違い>

1.見聞きした内容からの純粋な心配する気持ち

2.その後が気になるだけ。情報が知りたくて聞く気持ち

3.自分の恩着せがましい気持ちを相手に強要、自分の気持ちの単なる押し付け

大きく分けると、こういう違いが生じる。

 

周囲の人で思い当たる人がいますか?

 

どのタイプの人だったら、自分の内面の話をしたいと考えますか?

 

誰だって、自分のことを純粋に応援しようとしてくれる人に話したいですよね。

 

世話焼き・噂好き・お節介…思い当たるのなら、今すぐやめるべし!

 

これは、親子でも同じです。

どんな人にも感情というものがあります。

 

そこにあれこれ指図するような行為は、相手の行動を阻害する行為になります。

えっ?何で聞いてくれないの?

 

えっ?何でそんなこと言うの?

 

えっ?何でそんな話信じるの?

 

こんな顔をしたことも、されたこともあるかもしれませんね。

 

「あら~聞いたわよっ!」

なんて、言われた日には、たまりませんよね。

 

気配りと、相手の意志を阻害するようなお節介な行為は、全く別のものです。

 

これが、今回のテーマにもなる「鬱陶しい人」に繋がるカギです。

 

 

「鬱陶しい人」と思われるのは、相手のことを考えられない自分本位な人

 

最初のYさんとNさんの話に戻しましょう。

 

YさんがNさんに伝えた

「いつも心配してるんだよ」

は、Nさんの現状を何一つ聞き入れようとしないものでした。

 

Nさんは、私に心配をかけさせた人だから、Nさんが幸せにやれるわけがない。

 

このような思考で支配されています。

 

気にしていると言うものの…

「もう大丈夫!」

という言葉は、届きません。

 

そうなると…Nさんは、Yさんに伝える言葉が無くなってしまいます。

 

Yさんが見ているのは、

<表面的な行動で得られる満足>

他人を心配して思い遣ることができる優しい私。

 

<内面的な想いで得たいもの>

暇な時間が出来たから、Nさんの現状でも聞いてみようというミーハーな感覚。

 

<結論>

相手の答えは、それほど重要ではない。

 

 

この相手の答えがそれほど重要ではないと思うことって、LINE文化も重なって本当に多いものだと思います。

 

相手にも感情があるもので、人であるということを忘れてはいけません。

 

そして、人は停滞も退化もするけれど、成長だってするのです。

 

どうせ、あの人はこういう人だから…なんて決めてかかるのは、失礼極まりないことであり、自分自身の価値を下げることになるのです。

 

 

【まとめ】人との繋がりで大切なことは、人の世話を焼くのではなく、相手のことを「尊重する心」

 

人の世話を焼ける自分って、何だか、酔いしれるものがあるのかもしれませんね。

でも、それって、単純に相手が自立しようとする行動を阻害するものにもなるものですし、場合によっては、嫌われてしまう結果さえも生むものです。

 

実は、このYさんは、私の知人。

Nさんは、私です(笑)

お気づきだったかもですが…

 

正直な感想…優しさの押し売りは、非常に迷惑なものだな~と…でも、それだけ、私は人に心配もかけてきたので、致し方ないのですが…。

 

ちょっとくらい信じて欲しいものです(笑)

 

<こんな人になろう!>

心配する気持ちがあるのなら、相手を祝福する気持ちも同じ容量で持とう!

そして、真っ先に相手の成長を喜べる人になろう!

 

いろんな心情が重なって、いろんな行動に出てしまうと思いますが、いつも忘れてはいけないこと…相手には、相手の考えがあって、それは…尊重すべき大切なことなのです。

 

 

 

逆の視点にも要注意です。

「心配されたい・構って欲しい」は、鬱陶しいと思われやすい行動と心理を解説

こちらもご覧下さい。

 

 

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