大切な人の死が受け入れられないあなたへ

大切な人と死別するという事実に直面したとき、これは、夢なんじゃないか、何かの間違いなんじゃないかと疑いたくなりますよね。

 

あらかじめ、死を宣告されているケース
予見できない突然死のケース

 

人の死というのは、大きくこの2つに分類することができますが、特に後者の突然死別することになった場合、事実についていけなくなるものです。

 

私も大切な人を突然の事故で失いました。

しかも、葬儀に参列することも叶わず、遺体を見ることもなく、遺影とお骨を見ても、それが彼だと信じられないまま、受け入れられないまま、長い時を過ごしました。

 

今日は、いつかの私と同じように、大切な人の死を受け入れられないあなたと一緒にこれからを考えていきたいと思います。

 

大切な人との死別から立ち直れない

あなたにとって、大切な人だったのです。

死別から立ち直れないことは、不思議なことではありません。

最初にそう言わせてください。

 

急にあの人の今日が、明日が無くなってしまうことは、あなたにとっての今日も明日も無くなるのと同じだと思います。

 

真っ暗闇に立たされ、どう歩いていいかわからない。

それだけ、あなたの人生、あなたの中にいた人です。

 

そんな人に巡り合える人生だったこと、宝物だったことを胸に抱き、それをあなたの手で包み込んでみてください。

 

死とは?死別とは?

さて、死とは何なのでしょうか。

人と人とが出会ったら、どんな人ともいつかは別れという形を迎えます。

それは、離別なのか、死別なのかの違いです。

 

そして、死は、誰しも平等にいつか訪れるものです。

 

ただ、残念なことに、この世に滞在できる時間は、人それぞれ違うのです。

短い命であれば、この世に誕生する前です。

長い命であれば、100歳を越えます。

どちらが幸せなのか、不幸なのか、ということは全く考える必要はありません。

 

この世に生まれることが必要であったから、人は生まれてくるのです。

命の長短で、幸せを量るものではありません。

 

この世に誕生できなかったとしても、お母さんのお腹の中で与えられる愛があり、与える愛があるのです。

逆に長生きをしても、孤独に生きることもあります。

 

しかし、生きている私たちにとって、在るものは、この世の存在です。

見えもしないあの世の存在を否定します。

 

この世で生きていることがすべてと錯覚しますが、実は、生きている時間よりも、魂の存在である時間の方が長いのです。

それは、まるで、留学のようなものです。

 

あの世からすれば、この世は、留学先です。

 

ホームステイ先である両親を選び、その土地で出会う人と友人関係を紡いだり、恋人関係を紡いだりしているのです。

でも、留学できる期間が終わってしまえば、帰国せざるを得ません。

それが、死です。

 

大切な人は、母国であるあの世に帰る時間が来ただけなのです。

 

大切な人を失ったあとに忘れてはいけないこと

私たちは、大切な人を失った悲しみを嘆きます。

いつもなら一緒に居る時間なのに
どんなに待っても帰ってこない
どんなに待っても連絡がない

失ったことばかりに目が行きますね。

 

こんな時も一人なのか、こんなことも一人でやっていかなければならないのか…

失って思い知らされることがありますね。

 

あなたは、悲観的な気持ちをぶつけてばかりいませんでしたか?

 

どうして置いてったの?

どうして居ないの?

寂しい

一人じゃ無理

 

人は亡くなっても存在が消えることはありません。

肉体という乗り物に限界がきただけです。

 

あなたに見えなくても、全部見えているし、全部聴こえているはずです。

 

大切な人の存在を忘れないであげてください。

 

無くなった、失ったと考えがちですが、少し言葉を変えてみませんか?

 

そこに居たんです。

そこにあったんです。

 

そこに居てくれたから、助かってたんだな

そこに居てくれたから、文句言えたんだな

たくさん、話したね

たくさん、出掛けたね

たくさん、愛し合ったね

 

亡くなった方の存在を今一度ちゃんと受け止めてあげてください。

見えないだけなのです。

 

大切な人の死の乗り越え方

大切な人を失い、その死をどう乗り越えていくのか、どう乗り越えたらいいのか…

その気持ち、痛いほどよくわかります。

 

私も長い間、受け止めているようで受け止められませんでした。

そして、亡くなった本人も自分の死が受け入れられずにいたのです。

 

共に留学生活を送るのだ。

恐らく、これがイメージがしやすく、理解しやすい表現になると思います。

 

あなたには、この世という留学生活の残りがあります。

亡くなった人は、あの世という留学生活を送らなければなりません。

 

どんなに酷い割かれ方をしたとしても、そこには、命を持って気づかせる役目、気づかされる立場があります。

そんな天命を背負っていたなんて受け入れたくないという言葉が聞こえてきたこともありますが、亡くなった人が生きた軌跡、その死を否定しないで欲しいです。

どんなに痛ましい死であったとしても、その命の重さが教えてくれる学びがどれほど大きなものでしょうか。

 

そして、そこに気づくこともなく、私たちは、日々どれほど他人事として生きてきたでしょうか?

自分ごとになって、初めて気づくことがたくさんありますよね。

 

命を無駄にせず、生きることを改めて考え始めたとき、大切な人の死別を乗り越えて歩み始められると思います。

 

私は、彼を失い苦しみましたが、一人で立ち上がり、考え決断し行動しなければならないということを学びました。

その役目を彼が生前は担ってくれていました。

一人で立てる喜びは、彼の安心にも繋がります。

 

亡くなった人に心配をかけない生き方は、自分の自信にも繋がり、私がこのサイトを立ち上げるまでに成長させてくれました。

 

主人は、母の癌に悩み苦しみました。

その時、西洋医学の限界を感じ、新たに出会ったのが東洋医学です。

母が生きているうちに鍼灸師になることも、東洋医学を極めることも叶いませんでしたが、それを無駄にすることなく、母にきっかけを与えてもらったのだと生きてきた主人です。

母がいなければ、母がどうにもならない病に倒れなければ、出会うことのなかった東洋医学でしょう。

 

悲しみを越えて生きるとは、そこにあった命を無駄にせず、共に生き抜くことを言うのだと思います。

 

まとめ|大切な人との死別とあなたが生き抜く意味

私たちも経験してきたから言えるのは、簡単に死を乗り越えられるものではないと思います。

でも、亡くなった人の様子を見ることはできませんが、あの世でちゃんと生きています。

 

苦労した人は、やっとゆったりできると感じていることでしょう。

痛みが激しかった人は、ようやく解放されるのです。

 

もう、苦労も痛みも終わったんだよ。

ゆっくりしていいんだよ。

こっちのことは心配しなくていいんだよ。

私、大丈夫だよ。

離れ離れになっちゃったけど、いつかまた会える日を楽しみにしてる。

その時に頑張ったって言えるようにするね。

 

そう言える日々を送りませんか?

 

あなたの大切な人が、あの世で死んだことが受け入れられずに泣き喚いていたら、どう思いますか?

 

それが、あなたの答えです。

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