あなたが言葉遣いについて気になる時って、どんな時でしょうか。
ビジネスの場、改まった場、日常生活と多岐に渡り、人とコミュニケーションを取る上で、言語というものは欠かせません。
- 相手に想いを正しく伝えたい
- 敬意を表したい
- 相手に不快感を与えたくない
- 丁寧な言葉遣いにしたい
- 正しい日本語が使いたいなど
言葉遣いが気になる場面には、いろんな背景がありますよね。
もうちょっと別の言い方すればよかったかな…
変な風に解釈されたらどうしよう…
後から自分の言動が気になったり、不安になりがちな人に読んで欲しいです。
その時間、無くせるならゼロにしませんか?
今日は「言葉の使い手になろう!」というお話です。
言葉遣いに気をつける意味:発する言葉には言霊が宿る
私が学生だった1990年代後半、強烈なギャル語が流行りました。
チョベリバ、チョベリグ、MK5とか…今では使われなくなった言葉が流行った世代です。
「おはよう」という言葉も「おはーっ」と略されていました。
手紙なんかでよく使ったのは、「いつも×2ありがとう」という書き方でした。
いつの時代も、使われる言語には、時代時代の特色がありますよね。
最近の言語でよくわからなかったのは、エモい、ワンチャンなんて言葉です。
流行言葉って、知らないと時代に取り残されるような気もしますし、使えないとダサく思うこともありますよね。
でも、いつの時代も気になる言葉遣いって、その中にたくさんあると思うんです。
例えば、ここ数年の間で聞いた「ダルっ」という言葉は、すごく言葉遣いが気になりました。
面倒くさいという意味よりは、ウザイと口癖のような意味を含んでいるようなものです。
そして、いつの間にか無意識に定着して、意味を含まない言葉のダントツは「死ね」とか「死ぬほど」という言葉ですね。
どうしてこんな言葉を伝染的に使うようになってしまったのか…私にも覚えのある言葉があって耳が痛いものです。
しかし、言葉には、言霊(コトダマ)魂が宿ると言われています。
古代日本の信仰に根ざした概念で、言葉に宿るとされる神秘的な力を指します。この信念では、言葉が現実に影響を及ぼす力を持っているとされ、良い言葉は幸福を、悪い言葉は不幸をもたらすと考えられていました。
言霊の力は、実際に発するだけに留まりません。
「思考が現実化する」ナポレオンヒルの有名な言葉でもあるように、念ずることでも言霊の力はあると言えるでしょう。
毎日の口癖が「つまらない」と言っている人が「楽しい!」と言うこともないと思います。
それは、”つまらないこと”を言霊を使って引き寄せているからです。
以上のことから、言葉には十分気をつける必要があることが見えてきますね。
では、どんな言葉遣いをするべきなのでしょうか?
丁寧な言葉遣いよりも”責任のある言葉遣い”を心掛ける
丁寧な言葉遣い、正しい日本語、美しい言葉を使えるようになりたいというマナーに注目されがちですが、それよりも前に大事なことがあると思います。
それは
私たちは、どれほど、日常生活で”無責任な言葉遣い”をしていると思いますか?
■自分の腹の虫の居所が悪いから無愛想に返す
■イラっとした感情で話す
■思ったことを考えずに口にする
■考えすぎて何も言わない
このような言葉を発した覚えはありませんか?
最後の「考えすぎて何も言わない」も、相手にすれば無言を貫くという言語です。
さっき、勢いで言い過ぎたかも…
つい、感情的になっちゃった…
どう返せばいいかわからず無視しちゃった
こんな後悔って、誰でもしたことがあると思うのです。
この癖を直さずして、丁寧な言葉遣い、正しい日本語、美しい言葉って…本当に言えるものでしょうか?
言葉遣いは心遣い:「言葉の使い手」になる意義
“言葉遣いは心遣い”という言葉は、マザーテレサの言葉で、
人の言葉の使い方がその人の心の持ちようを表すという意味です。
丁寧な言葉遣いは相手への敬意や思いやりを示し、良い印象を与えます。逆に、乱暴な言葉遣いは相手に不快感を与え、悪い印象を残すことがあります。マザーテレサの言葉は、日常生活において礼儀正しいコミュニケーションがいかに大切かを教えてくれます。
私は、「言葉の使い手」になることが1番の鉄則だと考えます。
自分の言葉に責任を持って発言するという意識を終始忘れないでいられる人のことです。
自分が後から「しまった…あんなことを言わなきゃよかった」という後悔をしないように、いつも心掛けることです。
つまり、言葉の責任を持つということは、無意識に言ってしまったとか、つい、感情的になってしまったということを起こさないように、自分が発言した言葉の責任は自分で負うということです。
そうしたら、どうなると思いますか?
- 相手がどう捉えたかを気にすることがなくなる
- 自分の意思が明確にある
- コミュニケーションに矛盾が生じない
- いつも堂々としていられる
- 自分を好きになれる
言葉の使い手になれたら、こんな風になれるんです。
万が一、相手が意味を取り違えたとしても、その時は、冷静で丁寧に何度でも伝え直すことができます。
何よりも、いちいち、相手の取り方を気にする必要もなくなります。
だって、言葉に責任があるということは、自信のある言葉を紡げるようになったあなたがいるから。
言葉の使い手になれたら、あなたの自己満足度は大きく上がる!
もともと、私は、セラピストになる前、介護職をしていました。
高校を出てすぐだったので、18歳の頃からです。
18歳と言えば、若造で、右も左も何もわかっていない無知な頃です。
そんな時、何をしたかと言えば、先輩を見習うことを徹底していたのですが、時に先輩は、感情的に利用者さんにモノを言うことがありました。
しかし、自分の中で感情的な対応をしたいとは思わなかったし、どうしたら、不穏な利用者さんを笑顔にすることができるだろうか…そう考え続けていました。
ある日の遅番の日。
パジャマに着替えさせる仕事が自分に回ってきました。連日、その利用者さんは不穏な状態で、職員を困らせていました。
そんな時、思い付いたんですね。
どんな対応をされたら、嬉しいだろうか…
私は、その利用者さんがどんな時に穏やかな笑顔を浮かべるかも知っていました。
パジャマに着替えるのも拒否するような状態なのは、腰痛もありましたが、本当は、ずっとご主人と一緒に居たかったから…。
その気持ちを全部汲んで、想いを言葉に紡いで伝えました。
「痛いですよね。ごめんなさいね。でもね、私は、〇〇さんの笑った顔が1番好きなんですよ」
伝えたのは、たったこれだけの言葉だったと思います。
そうしたら、「あっっはっはっ」と、笑ってくれたんです。
その笑顔は今も忘れませんし、私のお守りです。
無責任な言葉は、相手の状況を考えず、相手を怒らせたり、不快にさせたり、誤解を招いたりするものです。
しかし、責任のある言葉は、相手の状況を考え、相手に敬意を払い伝えることができます。
その言葉の責任を持つわけですから。
誰かに喜んでもらうために紡ぐ言葉は、お世辞が並び、嘘も違和感も出てくるでしょう。
でも、相手のことを理解して発すること、発しようと思った言葉に責任を持つことで、必ず丁寧な言葉に変換できます。
責任を持つ言葉は、どんな時もきちんと理由が話せます。
相手を不用意に傷つける道具ではなくなります。
そこに心を込める「心遣い」もプラスされます。
その結果、自分の満足度も大きく上がります。
ちゃんと気持ちが言えた。
嫌な言葉は飲み込めた。
感情をぶつけなくてよかった。
全部自分を肯定する言葉ですよね。
それを操れる「言葉の使い手」になる努力、あなたもしてみませんか?
相手への理解が難しいという方は、当サイトのサブスクコンテンツ、自分の心の操作法をご活用ください。
幸せは、どこかから降ってくることはありません。
自分で紡いでいくものです。