「いじめはいけない」
何度悲しい事件に直面しても、それでも、いじめはなくならない。
江原啓之さんが、いつかのおと語りの放送で、いじめ問題を取り上げた時に「大人社会にいじめがあるから無くならないのだ」と言ったことに大きく頷きました。
1つの大きな問題は、「いじめを受けている」という認識を被害者側は持つが、「いじめをしている」という認識を加害者側は持っているとは限らないことだ。
特にそれが子どもの問題だった場合、実に深刻な話になります。
なぜなら、子どもは学びの途中であるからです。
人との距離の取り方や接し方を毎日失敗と成功の繰り返しから学んでいくものです。
私は、子どもの頃、大好きな友達のお母さんに強く責められたことがありました。
大好きな友達グループで、いつものように話していただけなのに…私の接し方は、不快だと責められたのです。
突然のことに絶句して何も言えず、意地悪をした覚えもなく、一方的に悪者扱いされ、ただ、悲しくて、自分はそんなにも嫌な奴だったんだと、大きなショックを受けたことを覚えています。
でも、彼女がいじめだと思ったのなら、私は加害者だったのだと思うしかありませんでした。
私自身について言えば、その子からは聞こえるように「アイツのせいで胃が痛い」と言われ、酷く傷ついたことも覚えています。
一度も彼女を否定したことなんてなかったし、大好きだったことは、微塵も通じず、加害者として後ろ指を刺されることを黙って受け入れた過去があります。
私の実体験から言えば、何か間違いを犯しているのなら、突然嫌うのではなく、その子から間違っていることを教えて欲しかったです。
何よりも親友になれると思っていたのは自分だけだったんだと、今でも悲しい記憶として残っています。
と、前置きが長くなりましたが、私の実体験も含めて、子どものいじめ問題について考えていきましょう。
子どものいじめ問題に気づいたら
私の実体験で言えば、先に書いたのは、加害者としての体験談でしたが、いじめられる経験も、クラスメイトが集団いじめを行う経験もしました。
どの経験においても、当時の記憶から言えることは、どのような対処をするべきなのか、幼い頭では考え付きませんでした。
正しい判断ができない年齢であるからこそ、大人である親として、的確に動きたいですよね。
では、4つのケースに分けて考えていきましょう。
①我が子がいじめられていることを知ったら
大切な我が子が誰かにいじめられているという現実は、もしかしたら、自分がいじめられるよりもショックを受けることかもしれませんね。
まず、考えるべきことは
あなたのお子さんがいじめを受けていると話してくれたのか、あなたがこれはいじめだと感じたのかで大きく対処法が変わります。
あなたのお子さんが、あなたにいじめられていると打ち明けたのなら、それは、あなたとお子さんとの信頼関係が築けている証拠です。
逆に言わないことは、あなたへ心配をかけたくないという配慮であったり、話す段階ではないということもあります。
しかし、
お子さんが望むことは何でしょうか?
あなたに何をして欲しいと言いましたか?お子さんが望むサポートをすべきことで、あなたが勝手に介入することは、お子さんの意思ではありません。
あなたがいじめだと感じたことは、お子さんも同じように感じているとは限りませんし、あなたの目からはいじめに思えることも、子ども同士ではそうではないこともあります。
何よりも、原因が全く見えていない中、あなたの見える範囲のことだけで、物事の善悪を付けることは難しいものがあります。
これはいじめだと騒ぎ立てる前に、お子さんにどんなやり取りがあったのかをまず聞くことから始めましょう。
その上で、起きていることをどう感じているのか、そこに何か手助けが必要なのか、逆にあなたのお子さんが謝らなければならない問題を抱えていることもあるかもしれません。
冷静に情報を集めて、どう解決に向かわせるべきなのかをお子さんの意向も含めて考えていきましょう。
②我が子がいじめていることを知ったら
もしかしたら、我が子がいじめに遭うよりも、親は酷く傷つくのかもしれません。
私は、善悪を教えてきたはずなのに!と、我が子の事情を聞く前に悪さをした時、一方的に叱ってしまったことがあります。
それを一緒に考えてあげる親になりませんか?
あなたが味方になってあげなかったら、誰が味方になれると言うのでしょうか?
もし、あの日の自分に会えるのなら、引っ叩いてでも、まず、叱るよりも先に我が子の心を受け止めろと言いたいです。
子育てをしてきて思うのです。
つい、自分と同じ感覚を我が子もわかっているものだと錯覚を起こします。
でも、そうじゃないんです。
ただ、子どもが知らなかったこと、子どもの考えが足りないことを親である私たちは理解しようとしないのです。
一緒に考える。
それが、何よりも必要なことだと思います。
お子さんと一緒にどうするべきなのか、どうすればよかったのかを考えてあげてください。
あなたが味方になってあげなかったら、お子さんは、味方がいなくなってしまいます。
元々は、相手が悪いことだったかもしれないのです。
その反論や表現の仕方が間違っているだけかもしれません。
③我が子の友達がいじめられていることを知ったら
私が子どもの頃、今考えれば、いじめだったと思えることがいくつかありました。
集団無視をしたり、仲間外れにすることは、日常的にあった問題です。
しかし、その時、自分がどのような態度を取るべきなのか、わからないものです。
助けることも難しいのが現実です。
意外と、嫌われている子と仲良くしていても、同じようにいじめられるというケースは少ないと思います。
私自身も見ていて傷ついたものです。でも、「やめなよ」とは、集団に対して言えなかったし、その子が陰に堕ちて行く姿を見てることも辛くて、困っていました。
いじめられる子が人間不信になるのは当たり前かもしれません。
でも、同時に私自身も、その子にとって友達ではないと烙印を押されたような気持ちになり、どう距離を取っていいのかわかりませんでした。
だから、傷ついている子には、愛のパワーを送ってあげなくちゃいけないことを教えてあげて欲しいのです。
そして、お子さんには、相手のことを何も知らないのに周りに同調されて、先入観で嫌ってはいけないことを教えてあげてください。
④我が子の友達がいじめていることを知ったら
我が子の友達がいじめっ子だったら…とても複雑な気持ちになります。
いじめ問題として捉えるかは別として「私はあの子からこんなことをされたから、あなたも無視して」と強要されることもありますよね。
でも、本来ならば、無関係のことに加担してしまえば、それは、単なるいじめになります。
いじめるという行動に発展するということは、そこには、何かの原因があるはずなのです。
お子さんの友達のことを一緒に考えてあげることで、お子さんがどう対処したらいいのか、その答えを見つけてあげることができるはずです。
きっと、お子さんは困っていると思うんです。
いじめではありませんが、娘にネッ友がいた頃は、仲違いする子たちがいて、毎回そこに巻き込まれるようなこともありました。
娘、Aちゃん、Bくん、Cくんと遊んでいたのに、AちゃんとCくんが喧嘩すると、娘もCくんと遊べなくなったり、無関係なのにCくんからブロックされるなど複雑な関係性が構築されていきます。
この件は、ネッ友だったため、娘と話し合った末、最終的には、ネッ友全員と縁を切り、リアルに戻るという結論を娘が出しました。
親子で話をするうちに、どうすればいいのか、お子さんが自然と答えを見つけられることもあると思います。
そんなサポーターでいたいものですよね!
子どもが安心できる社会づくりをしよう
大人社会でいじめ問題というのは、いろんなところで起きています。
小さな社会でいけば、家族から嫌われるという経験をすることもあります。それは、生まれ育った家族であることも、義家族であることも。
大人社会でいじめがゼロにならないのに、子どもにいじめはいけないと、どれだけ教えたとしても信憑性がありません。
実際に主人の会社では、パワハラ問題があり、それをいじめと捉えることは十分にできることが起きています。
他者を変えることはできません。
直接、パワハラを行う人を相手にしても、波風が立つだけで、本人が過ちに気づかない限り、無意味なことです。
しかし、人の痛みがわからずして生きることが、どれほど愚かで寂しいものかを教えてあげることはできます。
あなたたちの世代では、ゼロに変えて行くことができるんだ。
そう、私たちは真似させないように教えていくことができるのではないでしょうか?
夫、妻、我が子、親、友達…親しい人に対して、心のある言葉や態度を取ることができているでしょうか?
親しいからこそ、甘えて当たったり、このくらい察しろと、コミュニケーションをサボったりしていないでしょうか?
それも広い括りで考えれば、いじめの1つにもなるかもしれません。
気分が悪いから、体調が悪いから、悩んでいるから、キツい口調になるのは仕方ないではない。
だからこそ、いつもの何十倍も言葉や態度に配慮する必要があるんだと、実践していくこと、それを我が子にも教えることができたら…私は、世の中が変わっていくのではないかと思うのです。
子どもが望むサポートができる最後の砦でいよう
最後にまとめたいと思います。
子どもが直面する出来事は、親は、自分が体験しているかのような錯覚を起こすものです。
大きな出来事であればあるほど、親の方がパニックに陥りがちです。
だからこそ、冷静に考えて欲しいのです。
お子さんは、何を望んでいますか?
あなたは、どんなサポートができるでしょうか?
お子さんが困った時に頼れる存在であり続けられるように紡いでいきましょう。
困ったら、いつでもおいで。
そう言える親で、そうできる環境づくりをして、最後の砦として構えませんか?
我が子を見守ることには、忍耐もいるかもしれません。
でも、もっとお子さんのことを信じてあげていいと思うんです。
意外としっかりと考えているものです。
お子さんが必要だと、あなたを求めた時、お子さんの問題に介入してあげてください。