ものすごく後悔したときの対処法とスピリチュアルメッセージ

人生、いつもいつも上手く歩けていたら苦労しませんよね。

こんなこと言うんじゃなかったなぁ…

あんなことするんじゃなかったなぁ…

どうして、やめれなかったんだろう…

後悔には、いろんな形があると思います。

 

そして、その後悔している気持ちを抱えて生きることもまた苦しみの1つとなります。

まずは、自分の気持ちを一緒に整理してみましょうか。

 

あなたの後悔が、どんなものだったのか、大きく3つのパターンで解説します。

■自分の選択や行動に自己嫌悪を抱くとき

■自分の選択や行動に後悔ばかりするとき

■人を傷つけた自分が許せないとき

 

もう二度と同じ失敗をして後悔しないためにも、後悔しない選択ができる自分になるためにも、対処法を身につけていきましょう。

 

人が後悔するときとは

人が後悔をするとき、後悔の念を感じるときというのは、自分の選択や行動への怒りから来るのではないでしょうか。

 

その怒りの正体は

自分を許せないことです。

 

それが、文字通りの怒るという感情で現れるとは限りません。

クヨクヨしてしまうこともあるでしょう。

 

そんな時、自分に示されたスピリチュアルメッセージが何であるのか、何か救いはないかと考えているのではないでしょうか。

 

スピリチュアルな見解も心理学の見解も、倫理的な見解も、あなたの納得いく答えとは限りません。

 

でも、1つずつ受け止めていくことが、後悔した気持ちから立ち直って行くには近道であることには変わりません。

一緒にどんなスピリチュアルメッセージがあるのか見ていきましょう。

 

後悔したときの対処法とスピリチュアルメッセージ

後悔をしたときというのは、スピリチュアル視点で見れば、自分を磨くチャンス、大きな学びを得た結果ということが言えます。

 

「失敗は成功のもと」ということわざが日本にはありますね。

反省点や改善点を見つけることができれば、それは、成功へと繫がるのだという意味です。

 

【総合的なスピリチュアルメッセージ】

その後悔の念があるからこそ、あなたは、気づくことを得て、さらなる幸せへと歩みを進めることができます。

そして、その失敗は、あなたが気づき、学ぶためには、必要だったことです。

しかし、学びに変えることができなければ、あなたが気づくまで何度も同じような事象(姿・形を変えて)あなたに知らせることでしょう。

 

自分の選択や行動に自己嫌悪を抱くとき

 

どうして、あんなことをしたんだ。

どうして、やってしまったんだ。

 

自分をこれでもかと呪い、責めてしまうときってありますよね。

しかし、そこで感じていることは、すべて結果論です。

 

結果が良くなかったと思うからこそ、そのように感じたことです。

 

そもそもを振り返ってみましょう。

 

あなたは〝悪い結果を招くつもり〟で、その選択や行動をしたわけではないはずです。

最初からわかっていたなら、歯止めがきいたこともあったはずです。

 

それを責めたところで、ただ、ただ辛くなるばかりで、何も解決もしないし、進むことはありません。

自分を責める行為で、もっと、毎日が嫌になり、クサクサした気持ちが消えることもないでしょう。

 

自分を笑顔にできなかったことは、あなたの責任の部分もあるでしょうし、あなたの力ではどうすることもできなかった不可抗力の部分もあるでしょう。

 

ここでの注意点は

相手のせいで、こうなった

でも、その相手を選んだのは自分だ。

という、他責と自責が混じり合っていることです。

 

何が注意点かと言えば、誰かに対する怒りが隠れていることがあるからです。

自分に腹を立てて、自己嫌悪になっているつもりでも、そもそもが他者に対する怒りから始まっていることがあります。

 

結果は、良くなかったかもしれません。

でも、あなたは、その時、最良の選択だと思ったはずです。

こうなることを予測していたわけではありませんよね。

 

もう、責めるのは終わりにしましょう。

みんな不出来な生き物なのです。完璧にできる人などいません。だから、生きる意味があるのです。

 

失敗をたくさん重ねるからこそ、そこには、経験という宝があり、感動という喜びが生まれます。

 

ダメだったことは、次に活かせばいいのです。

活かせられないことなど起きません。

活かせらないと考えるのは、あなたの世界観だけです。

 

その材料を得ることができた。

それが、「足るを知る者は富む」なのです。

 

その答えを得たこと、在ることへの喜びに気づいてください。

 

自分の選択や行動に後悔ばかりするとき

自分の選択や行動に自己嫌悪するという話に似ているように聞こえるかもしれませんが、怒りではなく、クヨクヨ後悔してしまうこともありますよね。

次は、落ち込んでしまうような気持ちに囚われるときの話です。

 

これも自己否定、自己批判の1つです。

 

起きた出来事があまりにも受け入れがたいことだったとき、落ち込んでしまうことがありますよね。

やっぱり、これも結果論です。

 

最初から、こうなることを望んでいたわけではないはずです。

 

望んでもいなかったことを思い悩んでも、その時に戻ることはできません。

 

「後悔先に立たず」という言葉がありますが、どこか、甘えはなかったでしょうか?

 

後先を考えなかった、このくらいならいいだろうという過信など、ちょっとした甘えです。

 

自分の甘えから引き起こしてしまっている。

 

そう感じる部分があるからこそ、自責の念に駆られてしまっているのかもしれません。

 

やっぱり、やらなきゃよかった

やっぱり、やめておけばよかった

 

そこに振り返れば、自分自身への戒めがあった。甘えがあったと感じるのであれば、あなたは、もっと自分の心と向き合い、自分の話を聴く、自分を律するということが必要でしたね。

 

逆を言えば、あなたは、甘えてしまったけれど、「きちんとした答えが自分にはあった」という証拠にもなります。

 

後悔というのは、不安や迷いの選択の末にも起きます。

 

でも、チャレンジしてみた結果ならば、次は、やり方を変えてみればいいことです。

気づかせてもらえた事象に感謝もできますよね。

 

信じて精一杯やってみる

その結果だったのなら、後悔ではなく「今度はこうしてみよう」というプラスの気持ちにもなれるはずです。

 

1つの答えを出す時には、自分で責任を持つ。という気持ちが大切です。

 

人を傷つけた自分が許せないとき

自分の言葉、態度、行動で、大切な誰かを傷つけてしまったことに気づいた時、そんな自分が許せなくなることがありますよね。

 

あなたは、故意で傷つけたのでしょうか?

 

傷つけてやろうと思って、言った、やったことであるのなら、きっと後悔していないでしょう。

 

傷つけるつもりではなかった。

相手には、それが傷つくことだった。

 

だからこそ、苦しい気持ちを抱いたのです。

 

相手の心を壊してしまったと気づいたからこそ、あなたは、後悔という気持ちになり、反省という念を抱いたはずです。

 

あなたは、相手の痛みがわかった人です。

 

相手の痛みを感じた時、何倍も心は痛くなりますね。

そんなつもりじゃなかったという悲しい気持ち、否定したい気持ちもたくさんあると思います。

 

それで、さらに自分に足枷を掛けて

 

人を傷つけた自分は、代償として、幸せになってはいけない

 

そんなことまで考える必要はありません。

 

きっと、相手以上に、あなたの心は痛いはずです。

 

加害者として生きる必要はありません。

 

けれども、開き直って生きることも違いますよね。

 

大きな痛みを知るからこそ、加減を覚えることができたのです。

 

同じことを繰り返してしまえば、それは、何も学ばなかったのと同じです。

これから、どのようにするべきか、あなたの中で〝決意〟が生まれたのなら、それこそが大きな学びです。

 

傷つけてしまったことには、詫びる気持ちも大切ですが、その上で「気づかせてくれてありがとう」という感謝も必要です。

 

相手に伝えられる関係性が継続している場合は、その気持ちを伝えてみましょう。

もしも、縁が切れて伝えられない場合には、心の中で「ごめんなさい」と「感謝」を忘れず、念というテレパシーで送りましょう。

 

あなたが乗り越えられた時、あなたは変わっているはずです。

あなたが変われば、相手からも、もう過去のことで責められることはないでしょう。

その日が来るまで、心の中で「ごめんなさい」と「ありがとう」を伝え続け、関係性のある人には、きちんと誠意を見せる。

それさえ忘れなければ、この痛い経験は、いつか素敵な花に変わります。

 

後悔していることを忘れたいとき

 

後悔していることを忘れたい

どうしようもない過去を消したい

 

いわゆる、黒歴史として、自分の胸に刻むような出来事があったとき、事実そのものを消してしまいたい、忘れたいと思うことがありますよね。

 

単に無きものにしてしまうのは、ただの〝逃げ〟です。

 

また、似たような事象が形や姿を変えて起こるでしょう。

 

もう十分、反省したし、忘れたい。

この後悔という苦しみから逃れたい。

 

そう思うものですよね。

どうしたら、その苦しい思いから解放されるのか…

 

それは「ありがとう」と言える学びに変わるまで続くのです。

 

どんな事柄も、あなたにとっては、必要だったことです。

不必要なことなど、人生では起きません。

 

不必要に思うのは、あなたの世界観の話です。

 

記憶の消去ができるには、その起きた出来事を浄化させられるかどうかです。

 

そこには、良くも悪くも学びがあったはずです。

何かに気づいた。

それが間違いなことも、正解なこともあります。

 

結果が好ましくなかったことであれば、その部分だけ消去したくなる。

 

そう思うのもよくわかりますが、残念ながら消えないのです。

消えないから、忘れる方法はないかと考えるのですよね。

 

浄化させるということは、

誤りに気づけたことならば、感謝に繋がります。

正しさが分かれば、行動が変わります。

その歩みの中で、浄化していくものです。

 

臭い物に蓋をするように、自分の思い出したくないこと、後悔していることに蓋をすることはできません。

 

逃げるのではなく、きちんとそこから学びを得る。

そして、学びに感謝をする。

それが、後悔を忘れる方法にも繋がるのです。

 

でも、厳密には、忘れるのではなく、今のような形ではなくなるというのが答えです。

 

後悔しない自分になるために

なぜ、後悔する羽目になったのかを考えるのならば、その時の行動に責任が持てなかったからです。

 

口から発する言葉1つ1つに責任を持っているでしょうか?

1つ1つの行動に責任を持っているでしょうか?

 

無責任な行動をした結果、後悔に繋がっていることもあります。

もちろん、予期せぬ結果として現れることもあります。

 

予期せぬ結果とは、無知だったことである場合が大半でしょう。

 

感情に任せて発した、やったことが仇となることもあれば、知っているつもりが仇となることもあります。

 

いつも、私たちは、後悔するかどうかは、結果論でジャッジしています。

 

では、予測できることにおいては、きちんと責任を持つ努力を常に惜しんではいけませんし、予測できなかったことならば、後悔するよりも、素直に学ぶ気持ちになることが大切です。

 

いずれにおいても、甘えた行動や考え方をしない。

 

それを自分に徹底づけていけば、後悔する機会はグンと減るはずです。

 

まとめ|「後悔」の2文字が浮かんだあなたへ

「後悔」という言葉は、良くないことだと思うものです。

でも、後悔があるということは、そこで、気づいたこと、わかったことがあるはずです。

 

それは、これからの未来を生きる上で、どれほどの価値のあることでしょうか。

 

「してはいけないことだ」と学ぶから、次には、上手にこなせるようになるものです。

 

「これは喜ばれることだ」と経験するから、自分に自信が付き、ポリシーになるものです。

 

悪い言葉のように聞こえる「後悔」の2文字ですが、あなたがより良い人生を送るためには、必然だった出来事のはずです。

 

自分を苦しめてしまった、相手を苦しめてしまった、そこには「ごめんなさい」が必要です。

それと、同時に「気づかせてくれてありがとう」も必要です。

 

あなたは、その2つを学ぶことができた人です。

 

その他、自分の心の操作法というサブスクコンテンツでは、日常に起きる様々な対処方法を掲載しています。

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