人を愛すること!とは…恋と愛の違いの解説書

恋と愛の違いって何だろう?

そもそも「人を愛する」って何なんだろう?

考えてみれば、考えてみるほどわからない…

 

単純にわかることって、隣にいるあの人を失いたくないと思う根拠のない気持ちだけかもしれない。

ただ、あの人と一緒にいたいことが=愛してるでもない気がする。

 

一体、人を愛することってどんな事なのでしょうか?

 

[topic color=”red” title=”こんなあなたに読んで欲しい”]

本心で別れたいと思っていないけれど、パートナーと上手くやれないあなた。

「人を愛すること」という言葉に翻弄されてしまって、何を考えたらいいのかわからなくなってしまったあなた。

好きで一緒になった(なりたい)あの人と上手くやっていく秘訣が知りたいあなた。

過去の事象に囚われて、新しい一歩を踏み出せないあなた。

[/topic]

 

 

【AYAME2コマ劇場メッセージ編】

1.最初は良かったんだよね!

2.時間が経つと心は、荒んでしまうものなの?!

 

どうやったら、人を上手に愛することができるのでしょうか?

本篇に入っていきましょう!

 

 

あなたにとって「大切な人」はいますか?

 

「あなたには大切な人がいますか?」

 

こんな質問をしたら、あなたは何と答えますか?

 

「大切な人」という言葉の定義は、とても広義にも取れますよね。

 

でも、このコラムに辿り着いて下さったあなたには、少なくとも、気になる人がいたり、パートナーがいるという方が大半ではないかと思います。

 

また、それ以外だと、何らかの過去の事象によって、人の愛し方を知りたい人なのではないかな?と思います。

 

まず、この質問の答えを…

「はい!大切に想う人がいます。」

 

そう答えられる自分でありたいですよね。

 

 

そもそも恋や愛の前にあるのは「人を好きになること」

 

「あなたは、人を好きになったことはありますか?」

 

先ほどの質問と似ているような感じもしますね。

 

忘れてしまった人もいるかもしれません。

 

まず、人と出会い、次に交流があるうちに惹かれ…

 

「好きな気持ちに気づく」

この過程を辿ると思います。

 

告白を自分からするか、しないかは別として、異性を意識し始めるという段階が一番先に訪れるものですね。

 

長い時間一緒にいるパートナーをお持ちの方は、初々しかった頃の気持ちを思い返すことは、難しいでしょうか?

 

新しい一歩を踏み出したいと思う方は、人に惹かれることも怖いですか?

 

そんなことを思い浮かべながら、次へと読み進めて頂けたらと思います。

 

 

一般的に解釈されがちな恋と愛について

 

恋と愛の違いって、あなたは何だと思いますか?

どんなことが浮かびましたか?

答え合わせしていきましょう!

 

一般的に言われる「恋」について

 

まず、「恋」について考えてみましょう。

 

「あぁ~恋したーい!!キュンキュンしたーい!!」

 

こんなセリフを聞いたことはありますよね?

言ったこともあるかもしれませんよね(笑)

 

もちろん、私も使ったことがありますよ(爆)

 

恋しいって、言葉もあるくらいなので…

 

「求める要素が強い言葉」であることが伺えますね。

 

 

一般的に言われる「愛」について

 

何だか、恋から「愛」に言葉が変わると、とても深いものが芽生えたという印象を受けます。

 

結婚式では、「愛することを誓いますか?」と聞かれるものですが、イマイチ、本当の意味を知らずに「誓います!」なんて、答えてしまっているのでは?なんて感じてしまいます。

 

逆に、付き合って欲しい相手に

「キミを愛している!付き合って」

って、言われたら…何だか引いてしまいそうなニュアンスに聞こえますよね。

 

でも

「キミを愛している!結婚して下さい」

と、プロポーズで言われると涙ものの展開に変わるんですよね。

 

言葉の不思議ってやつなのでしょうか?

 

ということは、何らかの意味合いをみんな理解して、恋と愛の2つの言葉を使い分けているんですよね。

 

 

本当の意味の「恋と愛」とは…

 

一般的に言われるニュアンスの違いを軽く触れたところで、私がお伝えしたい恋と愛の違いについて、お話していきたいと思います。

 

本当の意味って、何だろう?

そんな疑問が湧いた方も多いかもしれないですね。

 

 

「恋」の状態とは

 

さぁ、今度は深いところの話を進めていきます。

 

「恋」の状態って、一体どういうことなのでしょうか?

 

人が恋しいと思う時にも、同じ「恋」という字を書きます。

人を好きになり始めた気持ちに気づいた時にも「恋」という言葉があてはまります。

 

スタート地点に近い時に抱く想い…それが「恋」

 

心に抱いている想いは、願望を成就させたいという気持ちですよね。

 

何かの成果や答えが欲しい…

 

すなわち

 

相手からの見返りを求める次元に自分があることが、恋です。

 

 

「愛」の状態とは

 

今度は「愛」です。

 

愛って、とても深いものを指しているニュアンスは、誰しもが持っているであろうという事は、理解していますよね。

 

紡いできたものが深くなってきた時に感じることを「愛」と表現したりしますね。

 

愛おしい存在が出来た時、その対象には、自分の感情で感じる部分は

「ただ、愛おしい」想いのみです。

 

つまり

 

相手からの見返りを求めないことが、愛です。

 

もっと、言葉を付け加えると…

無償に提供し続けられる想いを持つことが「愛」なのです。

 

 

赤ちゃんを題材にもっと具体的に考えてみよう!

 

ここで、何故赤ちゃん?!と、思われるかもしれませんね。

この上ない具体的な話ができる存在が赤ちゃんであるのです。

ヒント:誰にこの赤ちゃんは、笑いかけているのでしょう?

 

 

親が子を愛おしいと感じる気持ち

 

このコラムを読んでいる方、想像で結構です。

赤ちゃんを産んだことのない方は、想像をしてみて下さい。

赤ちゃんを産んだことのある方は、思い出してみましょう。

 

一体いつから、親という存在は、我が子を愛することができるのでしょうか?

 

私たちも、かつては赤ちゃんでした。

どんな境遇であったとしても、赤ちゃんの時期が無かった人はいません。

 

そんな私たちは、必ず、誰かに愛されて育ったからこそ「今」があるものです。

 

親を振り返ってみたとしても、親がいつから自分の事を愛してくれているのかなんてわかりませんよね。

 

では、自分が親だったらと想像したら…どうなのでしょうか?

 

私は、1番近い出産は、3年ほど前でした。

 

お腹の中に赤ちゃんがいる愛おしさと、生まれてきた赤ちゃんに対する愛おしさは別だと思っています。

 

何故なら、初対面する時は、「この子が私の赤ちゃんなのね!よろしくね♡赤ちゃん」そう挨拶を交わしました。

 

時間を重ねるごとに、かけがえのない存在に変わっていくのが、赤ちゃんなのかな?

 

この愛おしさが、いつどんな風に生まれたのかわかりません。

 

ただ、赤ちゃんには、いつだって「無償の愛」を注ぎ続けることができる唯一の存在なんです。

 

何故なら、赤ちゃんが泣けば、ミルクを与え、オムツを替え、あやしたりする。

これに対して、赤ちゃんは、ありがとうと言うこともなければ、給料を支払ってくれるわけでもないんですよね。

赤ちゃんは、お礼をしてくれることはありません。

 

でも、お母さんは、その代わりに…

笑顔を引き換えとして受け取って満足するのです。

 

何度も挫けそうになる育児なのに、たった1つ「我が子の笑顔に」救われているんです。

 

でも、赤ちゃん以外の存在には、見返りを求めてしまいがちです。

 

赤ちゃんも少し大きくなれば、自分の存在に応えて欲しいと子どもにも思うことがあるでしょう。

他人であれば、見返り欲というものは、もっと湧くものです。

 

 

どんな扱いを受けても愛し続けているのは「子ども」

 

今度は、赤ちゃんの方を想像してみましょう。

 

赤ちゃんの頃の記憶は、ほぼ無いでしょうが、先ほどと同じで想像力で進めていきましょう。

 

赤ちゃんは、どんな気持ちで、お母さんのお腹の中で過ごし、お母さんと初対面したのか…わかりませんが、「本能」という備わったもので、すぐにお母さんを認知するのだと思います。

 

自分の欲求は、泣くことでしか表現できませんが、お母さんに対する想いは「絶対値」で持っているものです。

 

どんなにお母さんがヒステリーを起こそうと、自分の安心を得るために最後まで求めるのは…母が抱っこしてくれるその胸の中です。

 

その絶対なお母さんに対する信頼は、新生児から始まり、多くの人は、大人になってもずっと死ぬまで続いていくものだと思います。

 

不思議なもので、どんなに憎らしい親であったとしても、親という存在への「愛されたい願望」は、生涯消えることがないでしょう。

 

裏を返せば、憎いも愛のうち。

 

無関心が愛の反対言葉だとナタール先生が教えてくれました。

 

壮絶な生い立ちで、親を憎らしく思ったとしても、親に愛されたかったという欲望は消えないでしょう。

 

つまり、この世に生まれてきたら、人は、愛されるために一生懸命生きることも、人生の目的として備わっているという事が言えると思います。

 

 

子ども時代に知っていたはずの「人を愛する気持ち」が成長と共に変化している?!

 

さて、今に話を戻しましょう。

 

赤ちゃんの頃に育って得たもの、得たかったものがあるという点について触れました。

 

幼児期になれば、幼稚園や保育園に行き、やがて学生生活を送っていくのが、日本のシステムです。

 

家の中しか知らなかった物事に「社会」が加わって、私たちは沢山の事を学んできましたし、これからも学んでいきますよね。

 

社会の中で、最初に芽生えた「愛」は…友達が欲しい

 

そうです。

 

最初に親の次に人が踏み出すステップの愛は、友達です。

 

知らない間に、友達を作る習慣が自分の中にあると思います。

もちろん、人に混じることが得意でも苦手でも。

 

友達という存在がやがて、深い関係性になって「親友」と口にするようになる。

 

同性同士だって、想う心が「愛」であっても不思議ではありません。

男女関係の「性」を意識すれば、変に聞こえるのかもしれませんが(笑)

 

 

社会生活を送れば送るほど、いろんな愛されたい欲求が増える

 

また、時が過ぎれば…

 

異性を意識するようになり、異性を愛することも覚えていきます。

 

いろんな出会いに心をときめかせたり、ハラハラしたりと、いろんな感情が動いてきましたよね。

 

仕事を持つようになれば、仕事で認められたいという欲求も芽生えるでしょう。

 

常に、人はいつも「愛されたい」という気持ちをもって生活しているのだという事がわかりますよね。

 

自分を理解して欲しい

自分を大切にして欲しい

自分を必要として欲しい

自分を好きになって欲しい

 

いろんな欲求があることでしょう。

 

無条件に人を愛することができたのも、自我が芽生える前の赤ちゃんの時期でしかないかもしれませんね。

 

年齢を重ねるほど、人を疑い深くなります

年齢を重ねるほど、嘘を付くことも覚えます

年齢を重ねるほど、駆け引きを考えるようになります

 

こんなことがあるんだと読んでいただけたところで、ステップアップします。

どうぞ次へ

 

 

つまり、人はいつも無償の愛を求め続けている

 

欲求が増えるという事を書きましたね。

 

私もあなたも人に承認されたいと願う欲求は、多かれ少なかれ持っていることと思います。

 

自分が他人へ愛情を注ぐことは、苦手だとしても…

 

他者からの愛情を求め、注ぎ続けて欲しいと願う生き物なのです。

 

その証拠を簡潔にお教えいたしましょう。

 

あなたが抱く不満が、その答えです。

 

不満を抱かずにいられる人というのは、多くはいないでしょう。

 

自分の満たされたいという欲求が果たされない時に、人は「不満」を抱くのです。

 

それは、どんなに「愛している」と伝えた相手であっても…

 

そして、愛されているという実感が少ない時…心の電池が切れたかのように、心の栄養は失われ、沈んだ状態になってしまうのです。

 

 

得策なのは、他者に「愛」を与え上手になろう!

 

他者に愛を与える=見返りを求めない自分でいること

 

これが、必須になる公式です。

 

最近では、ペットを飼う人が随分と多くなりましたね。

 

ペットに対する愛の注ぎ方は、赤ちゃんと同じで、見返りを求めないものです。

 

ペットにしても、子育てにしても全く同じ事が言えるのですが…

 

相手が喜ぶように、満足できるように、安心できるように、幸せであれるように…

 

こんなことを想像して、与えた気にもならず、心や手間を注ぎ続けられるものですよね。

 

このように、あなたが大切にしていきたいと思う相手に注いでいけばいいんですよ!

 

難しい事は、本来ないのです。

 

相手が喜ぶことだけを一心にやること。

 

たった、それだけが出来るか、出来ないかなのです。

 

 

【まとめ】気づけば、そこにあるのは「満たされた私」

 

一見、理不尽に聞こえたことでしょう。

 

相手が喜ぶことだけを一心にやること=自分が満たされるの?!

 

そんな風に感じたかもしれません。

 

でも、見返りをわざわざ求める必要がないことも、実践していけばわかるものです。

 

だって、あなたが抱く不満に感じる事って…

 

相手の本意かどうかわかったものではないんですよ!

 

相手が王様になるだけだと、パッと思ってしまうかもしれませんが、それは大きな勘違い。

 

それに、あなたが求めたい見返りって何なんでしょうか?

 

あなたのために考えていることが、ちょっとでも感じられれば、きっと、見返りを求めていたことを恥ずかしいと思うでしょう。

 

自分の事を本当は考えてくれているのに、「あなたは考えてくれない!」なんて噛み付いて失敗することだってあったかもしれません。

 

ちゃんと、相手の心を見つめていたら、そんな失敗しなかったかも(汗)と後悔することがあったとしたら…

 

その後悔に値する部分さえ、ちゃんと見える自分であったら、何も見返りを求める必要もなく、穏やかに愛し合っていけるはずです。

 

相手が自分の事をどう考えているんだろう?

考えてくれない!

なんて、猜疑心の塊をぶつけて、自分の事を好きだという証明をして欲しいと訴え続ければ、人は、いつか「こりゃたまらん!!」と逃げて行ってしまうかもしれません。

 

もう一度、人を信じること

もう一度、精一杯愛してみること

もう一度、吐き出そうと思う言葉を頭の中で予行練習してから、話すこと

 

小さな努力をすることで、その関係は、とても素敵なものとなっていくのだと思います。

 

気づけば、愛の溢れた日々がそこにあるかもしれません。

 

 

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最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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