新型コロナウイルスが騒がれた頃から私が見出していることをお話しようと思います。
なぜ、今日まで書かなかったのか…
いろんなことを調べる時間に費やしていたからです。
実を言えば、ネットという公の場で公開するほど、まだ自分の中でまとまっていません。
でも、事態は、急展開に感染者数が増え始めたことを受け、取り急ぎ、文章にまとめることとします。
多数の予言が的中?!怯えるのでも、受け止めるのでもなく、ここからが始まりです
日本人だけでなく、あらゆる予言を研究していた最中でした。
しかも、私としては、とても珍しい行動です。
[aside type=”sky”]<予言の一部>
・疫病の流行
・巨大地震、富士山の噴火
・第三次世界大戦
これらをあなたは、現実のものとしたいですか?
新型コロナウイルスに関しては、世界的流行をさせてしまいました。
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簡単にスピリチュアル視点を強く持ったことをお話しします。
新型コロナウイルスが武漢で流行し始めた時は、私も含めて、まだ他人事だったと思います。
中国が春節に入った時、事態に危機感を感じました。
なぜ、封鎖をしない?
なぜ、日本に引き入れた?
私が言っているのは、人種差別ではありません。
支援なら、遠隔でもできることはあったはずでした。
でも、今更過去のことをとやかく言っても始まりませんから、置いておきましょう。
しばらく、考えているうちに頭の中に過ったものは…
「感謝」という二文字でした。
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「感謝」とは…
これまで、どれほど私たちは幸せだったのか、愚かな行動をしてきたのか、天から思い知らされる目に遭っているのだということです。
進行形で、世界中の人々は、今も愚かなことをしていると思います。
罵ること、自分事と捉えない事、批判をすること、差別をすること…挙げればキリがありません。
その愚かさについて、一人ひとりが気づくこと
これまで、どれほど感謝すべき日々があったのか気づくこと
これがメッセージであるということには、2ヶ月ほど前に気づいていました。
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しかし、学校が休校になったことで、子どもたちのフォローを優先させ、自分の中の言葉の確証を探すことに没頭していました。
発言するからには、頭のおかしな人にはなりたくなかったのです。
自分の中の自信を高めるためにあらゆる情報を収集していました。
今も、まだその途中ではあります。
また、どんな形で、発信すればいいのかも、日々考えるばかりでした。
日付が変わったばかりの1時間前のニュースを見て、悠長なことを言っていてはいけない。
感染者が一気に700人を超えたと報じられてしまったのです。
ともかく、発言をしようとPCを開きました。
今、焦りしかありません。
スピリチュアルな力は、予言をするためのものなんかではありません。
如何に、豊かなものに変えるか…どちらかと言えば、警告なのです。
予言通りに生きることなど、神様が推奨するわけがないのです。
名は、伏せませす。
沢山の有名な方が、いろんな形で、今回の予言を的中させているように映った方は、多数いらっしゃるのではないでしょうか?
もう一度言います。
的中させることが、使命でもないし、終わりではないのです。
その解決策、そこからの出口へと導いていくのがスピリチュアルな力の役目だと考えます。
人々を恐怖に陥れるようなものなど、信じなくていいのです。
その信じる気持ちは、現実に事態を引き起こすことさえあるでしょう。
誰だって、元通りの日常を取り戻したいと考えていることでしょう。
何が必要かと言えば…
そうならないための努力をすることが課題なのです。
自然は、疫病・災害を引き起こし、人々の調和を取り戻すための警告をしている
もう少し具体的にお話できそうなことを書いておきます。
過去を振り返ってみて下さい。
何度も疫病が流行ってきました。
その前後には、戦争があったと思います。
まだ、きちんとこの点についても調べ切れていませんが…
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私が考えるのは…
疫病は、人々の考え方を改めさせるために必然的に起きている事だと思うのです。
[/aside]SNSという手段を新しく持ち、沢山の心の声を表に発信することができるようになりました。
とても画期的な文明の1つです。
ですが、私たちは、人を傷つける道具にもしています。
誰かが憂さ晴らしをしていれば、それを見て嫌な気持ちになる人もいます。
道具無き戦争をどれだけしていたでしょうか?
例えば、芸能人に対して、誹謗中傷、炎上騒ぎとして、どれだけネット内は、これまで荒れてきたでしょうか?
受け取る相手の気持ちを考えてきたでしょうか?
例え相手が悪くとも、当事者でもないのに口出しした人がどれだけいるでしょうか?
許せる心を持てた人はどれだけいるでしょうか?
ネットリテラシーを守っていた人は、どれほどいたでしょうか?
勿論、ネットだけの問題ではありません。
人と人との繋がりは、日々薄れてきました。
隣の人は、誰か知らない。
そんな人も多くなったものです。
困っている人がいても、見て見ぬふり。
自分は巻き込まれたくないと、逃げてしまったことがどれほどあったでしょうか?
責任は、誰かに擦り付け、自分事として考えることができた人はどれだけいたでしょうか?
親は、子を殺す時代になりました。
子も、親を殺す時代になりました。
世間は、それを見殺す時代になりました。
関わりたくない。
巻き込まれたくない。
責任は押し付ける。
間違った発言や行動があれば、どこまでも責め続ける。
何かあったらお互い様!助け合いましょう。
そんな心を持っている人が本当に少なくなった時代だと思います。
自然は、そんな私たちを見てきました。
そして、自然が無ければ生きていけない私たち人間なのに…環境を大切にしてきませんでした。
まるで、人のために地球が存在しているかのようです…。
地球があるから、私たち生き物は、今日まで生きてこれたのです。
感謝してもし足りないもの、大地は母なのです。
森林をどれだけ伐採したでしょうか?
私たちは、酸素が無くては生きられません。
自然は、あるべき姿を失い、動物は絶滅したり、危機に晒されたり、人里に降りては、射殺される始末です。
ペットブームで、いろんな動物が売り買いされる一方で、まだまだ捨てられる命が沢山あることに見向きもしない人が動物愛を語ることはおかしな話です。
そんなことを無視し続け、人々は、豊かになるためだけを考え続け、地球を大改造してしまいました。
自然が怒りたくなる気持ちが理解できませんか?
勿論、私たちの祖先が起こしたこともあるでしょう。
直接手を加えなかった人の方が大半でしょう。
でも、そんな小さな次元の問題ではないのです。
自然から見れば、人は人です。
自然の有難みも、食事が出来上がるまでの過程も無視し、文句を言いながら食事をし、贅沢ばかりを追い求め、自分の身体の有難みも気づくことはありません。
私たちは、すべての調和を保つことよりも、ただ、人が、自分が、優位であればいいという考えの元で生きすぎてしまったと思います。
人が生まれた本来の意味を知り、自分の人生に活かすことの大切さ
私たちは、何のために生まれてきたのでしょうか?
楽をするためでしょうか?
人を傷つけるためでしょうか?
もし、そうなら、人生とは何とつまらないものなのでしょうか…
人は、何らかの目的を持って生まれてきます。
その目的は、人それぞれでしょう。
でも、1番の目的は「愛」を知ることであると思います。
その「愛」の形は様々です。
愛とは何?そう思う人もまだまだ多いものです。
何かを愛する気持ちというものは、とても胸が温かくなるものです。
とても、その存在が愛おしく、その存在に癒され、その瞬間を宝に感じるものです。
その愛の対象は、本当に様々であるはずです。
親子、きょうだい、恋人、夫婦、友達、教師、医師、国家公務員…多種多様にいろんな形があるのです。
誰かのために尽くすことを仕事として、天職として生きる人もいるでしょう。
身近な誰かと想いが通じ合って、幸せを感じる人もいるでしょう。
でも、そのバランスは、崩れていることを何度メディアは報じてきたでしょうか?
勿論、メディアの在り方も考えなくてはならない課題です。
人の心を豊かにするどころか、悪に煽るようなメディアが増えたものです。
メディアの挑発に乗って、沢山の人を攻撃している様子を何度見たか分かりません。
人の振り見て我が振り直せ
その心は何処に消えてしまったのでしょうか?
虐待事件があったのなら、我が子を大切にし、他所の子をも愛せる心を養っても良いのではないでしょうか?
不妊が増える要因の1つも、愛の欠落だと思うことが増えました。
子どもを作るためには、夫婦が愛し合っていることが生まれてくる子どもとしては理想的でしょう。
また、我が子が欲しい人が、他人の子を妬み、どうやって我が子を愛せるのでしょうか?
また、愛するはずの妻を平気で裏切り、不倫に走り、傷つける行為があれば、その傍らで、夫の心を無視して過ごす背景さえもあるものです。
こうして、いくつかの問題を取り上げても、相手のせいにして、自分を正当化してしまう人がどれだけいるでしょうか?
他者への思いやりというものは、消えてしまったのでしょうか?
車に乗って思うこと…道を譲り合う時に挨拶がし合えると、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな…そう感じます。
その程度で、捨てたもんじゃないと感じるって、とても寂しい世界だと思いませんか?
スマホの時代になって、我が子が泣いていても、SNSやゲームに没頭していて気づかない親がどれほどいるでしょうか?
私の(僕の)ママやパパは、
どうせ自分のことを見ていない
そう子どもに思わせていないでしょうか?
「愛」を与えることも、「愛」を知ることの1つです。
こんな風に書いていくと、自分のこれまでを振り返り、恥ずかしくなりませんか?
平然と人を裏切ってしまったこと
他者の気持ちを考えずにきてしまったこと
この2つをピックアップしても、思い当たる人が大多数でしょう。
私たちは、そんなことを学ぶために生まれてきたのでしょうか?
人との縁を育み、そこに喜びを見出し、自分の役割を見つけ、懸命に生きる…
それがあって人生は素晴らしいと言えるのではないでしょうか?
【まとめ】先行きの見えない時代だからこそ、自分の足元を照らせ!!
新型コロナウイルスが流行したことで、これまであった生活は激変しました。
だからこそ、考えなくてはいけないことが沢山あると思います。
差別社会をこのまま許していけば、自分が困った時に手を差し伸べてくれる人はいないでしょう。
いろんな問題が何重にも交錯しているように見えます。
でも、本当にそうでしょうか?
隣の誰かを大切な人だと考える心を一人ひとりが持てるようになれば行動が変わります。
行動が変われば、結果が変わります。
いつだって、人生はシンプルなのです。
どうか、これを機に「自分本位(自分勝手)」をやめて、誰かを想える人になって下さい。
誰かがやらないから、自分もやらない…なんて、子どものような振る舞いをしないで下さい。
私たちが楽しく暮らせていたのは、紛れもなく、先人たちがその世界を守ってくれたからなのです。
そろそろ、破壊をやめて、修復をしていきませんか?
私一人じゃ力が足りません。
「今」を変えるための一手は、自分なのだと考えてみて下さい。