不登校になったら、親子で考えている視点が違うことに重きを置かなくてはならない

  • 2017年4月18日
  • 2019年10月28日
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まさか…我が子が不登校になるなんて…

我が子である長男は、小学校5~6年生の頃、不登校児でした。

毎日、毎朝闘った苦悩…何度も泣きました。どうやって解決すれば良いのかもわからず…。他人の目も気になって、近所で俯いて歩いた日々もありました。

不登校になる子どもは、現在少なくありません。他人事だと思っていたことが、自分の身に起きてもおかしくないような世の中です。同じように悩まれる、お母さん・お父さんを始めとした方に読んでいただければと想いコラム化しました。

きっかけは、思いもしないところからやってくる…

我が家の長男は、私に似て、感受性が強く。小さな頃から、人見知り・場所見知りの強い子どもでした。そして、どこか大人びた部分があります。精神年齢が高めの部分があると言えばよいのでしょうか?

今思えば、保育園の頃から、ナイーブな子でした。おともだちとのやり取りが上手くいかなかったことを引きずってしまっていたこともあります。当時、仕事が忙しかった私は、その原因は、”寂しさ”にあるのでは?と勝手に思っていたものです。保育園をお休みしたいと言う時に、仕事なんかより、子どもが大切!そう思って、無理言って休んで思い切り遊んであげたりしていました。しかし、それは、ある時おともだちと前日に喧嘩したことを引きずっていたりしていたことが、分かってきました。

親も常に1年生。2人目も、3人目も…その子にとって、自分が向き合っていくのは、毎日が1年生だと思います。2人目以降にあるのは、”子育てをしてきた経験のみ”で、個々に対して思えば、私は、何人兄弟姉妹でも、それぞれが1年生だと思います。

それが1人の人間であり、個性であり、存在なのだと思います。

不登校になるまでの様子

もともと、気難しい面を持った子でした。母である私に対して、依存心の強い子です。

子どもを傷つけてしまったと過去を悔やむより、今を胸張って生きることが子ども孝行

 

そして、私の鬱病時代も、離婚も…生まれてからの事なので、辛い想いも沢山させてしまったと反省しています。しかし、その分…私は、今輝いて生きていますので、その背中を見せる事・見せ続ける事が、償いであると思います。親子、愛

私の情緒が安定しなかった頃は、沢山の迷惑をかけたと思います。

そして、子どもから返ってくる愛情の方が、自分よりも深いものであると感じます。

皆様は、そのようにお考えになったことはありますか?

大人の方が、”自分を優先”しているものです。

それは、離婚を決めた時に、後に息子が語ったことが物語っています。

「あの日、離婚しないで!って、もし、言ってしまったら…ママを困らせたと思う。」

情けないですが、そう言われたことがありました。

2歳下の二男からも、長男からも…それぞれ、別の時間に

「ママは、お兄ちゃん(弟)の方が、好きなんでしょ?」

こんなことを言われたこともありました。

親として、一生懸命にやってきたはずのことも、子どもたちには、上手く届いていないのかと、心にグサッときたものです。平等にしているのは、親の”つもり”なのかもしれませんね。

そんな心に残る事もありましたが、それまでは、時に問題事が起きても、解決させられるように手をかけ過ぎてしまったのかもしれません。

と言うのも、保育園の頃の不登園の背景には、おともだちとのトラブルがあったので、私の中にも、”また行けなくなってしまったら困る”そんな焦りもありました。

それでも、4年生になった頃には、自分の意志で友達と学区外に遊びに行くようになったりと、小さかった頃のような、場所見知りも時間と共に本人の意思があれば、解決していくものなんだな。と感じ、その成長がとても嬉しく感じられました。

内向的な子でも、成長と共にトラブル回避ができる意思を持てるようになる

4年生の頃、いつも遊んでいた友達とトラブルになりました。そのトラブルは、金銭の絡んだものでした。純粋且つ素直な息子は、他人を疑う目を持たず、友達の言う通りにしていました。

友達から、

「とあるイベントがあるから、一緒に行こう!そこには、お金が必要だから、お金持ってきて!」

こう言われて、息子は素直に持っていたお金を渡してしまったようです。そして、それ以上のお金が必要なので、私に催促してきました。そこで発覚したのは、その子の”嘘”でした。

それをきっかけとし、再度トラブルになった時に、息子は、自らの意志で友達を辞める選択を選びました。それを諭して下さったのは、担任の先生でした。

「もう小さい子じゃないんだから、嫌なら、嫌だと、自分の口で言いなさい。」

その結果、友達として付き合わないを選択しました。

そして、その頃、今の主人に私には、内緒だと…学校の悩みを打ち明けたりもするようになっていました。

逞しく成長したものだと思った4年生でした。

不登校になった5年生…壮絶な闘いの幕開けだった…

5年生になった4月は、問題なく登校していた息子です。

GW頃の出来事だったと思います。突然息子が告げた言葉は…

「明日から、学校に行きたくない」

精一杯の言えた言葉だったのでしょう。そして、何があったのか聞いてみたところ…それは、同じクラスの子の”不衛生な行動”が原因だと言いました。

私は、とても悩みました。不潔行為を我慢しろと言うのも、同意するのも…何が正しいのかわかりませんでした。困り果てた私は、その話を聞いた夜、児童相談所に電話をしました。

児童相談所の回答は…

「お子さんの意思や気持ちを尊重してあげてください」

というものでした。

何ともやり切れない答えです。しかし、子どもの気持ちを重んじる事が今は、大切なのだろうかと、翌朝、教務主任とも相談した上で、児童相談所の言葉を受け容れて今日は、様子を見ると回答をしました。

それから、運動会も近く、行ったり、行かなかったりを繰り返していくようになりました。当時、妊婦だった私は、妊婦であることも忘れるほど、頭を使ったものです。そして、心無い人には、私の再婚や妊娠が原因なのでは?と言われ、とても心が折れる想いで一杯でした。

それについては、息子は、楽しみに妹の誕生を待ち焦がれていましたので、そう言われる度に、本当は、気を遣っているのかな?と考えるほどでした。

けれど、新しい生活をしていくわけですから、負担は、ゼロではなかったはずですし、心優しい息子にとって、悩ませたことも沢山あったと思います。

なので、私と主人は、子どもたちから認められる夫婦になることが目標です。

不登校児を抱えた苦しみ…

私の目線で書いているので、私の抱えた苦悩を書いていきたいと思います。

毎朝がとても憂鬱でした

朝がやって来る度、起こさねばなりません。

起こすけれど、起きない…

行くのか、行かないのかわからない。

今日は、起きるかな?起きないかな?

本当に憂鬱です。

そして、学校へ連絡を入れるのも、本当に辛い気持ちでした。

先生方は、「どうして?」とか「今日もダメですか?」

という対応だった時もありました。その時、母にその愚痴を告げたら、母が学校に直談判しに行きました。

「娘が、孫のことで頭を悩ませているのに、もう少し、優しく接することはできないのですか?また、鬱状態になったらどうするんですか?」

そう言ってくれたのです。

その後、教頭先生と電話上でしたが、話し合いをしました。

私だって、毎朝連絡するのが辛い。またかと言われるのが心折れる。そして、私自身も支えてほしいとお願いしました。

結果的に、今は、教頭先生ととても仲良しです(笑)

あらゆる児童支援してくれるところに相談しまくった

児童相談所を始めとして、不登校児の相談窓口のある電話相談に問い合わせたり、不登校児が通う単位の取れる学校に代わる期間にも問い合わせたりしました。

次第に、学校への”こだわり”が消えました。

すぐそこの学校じゃなくてもいいんだ。

息子が納得して、通える学校があればいい。

私は、学校を無理して行かなくても…という答えは、出しませんでした。

その理由は…

本人が、不登校をやめた時や大人になって、社会に出ようと思った時に、少しでも戻りやすい環境を用意してあげたかったのです。そのために第三の機関を当たったりしていました。

何より、自分の行いによって、更に自分を責めるような日を迎えてほしくないだから、親として、子どもがそうならない道を1つでも用意してあげようと思い必死でした。

必死で、必死で、娘が生まれる1ヶ月前まで、遠方の不登校児の通うスクールに連れて行ったりもしてみました。

こんなに子どものために考えたことがないというくらい考えた期間でした。

近所の目を恐れていては、息子と闘えない

最初の頃は、先にも書いたように、他人の言葉によって、自分も傷つきました。

「最近、学校行ってないの?どうしたの?」

心無い言葉、、、いえ、当たり前の疑問でしょうね。

その疑問が、本当に心痛く、苦笑いをするしかありませんでした。

しかし、私は、息子と外に出続けました。

学校に行かないなら、妊婦のママの運動と思って、一緒にボディガードとして、スーパーに買い物に行ってもらったり、一緒に出かけたり…

他人に言われた時に、胸を張っていようと思うけれど、緊張してしまったり、見えていないフリをしてしまったり…いろいろありましたが、笑顔で息子と過ごす時間を大切にする方が賢いと思いました。

息子は、罪悪感があったと自分の不登校について語っているコラムでも言っていますが、私は、悩む日々よりも、楽しんで生きてほしい…それも大きかったと思います。

娘が生まれたら、しばらく遊べなくなることも考慮して、遊べること、やれることをしていたと思います。 

学校に行かなくても、友達がいることが救いな長男と陰で長男を支えた二男

息子の学校のペースは、先生との約束だったり、行事への参加は、頑張ってみたりとやってきました。

最初の頃は、学校に来ない長男に対して、周りの友達の反応は「何で学校に来ないの?」そういう疑問を抱く子もいました。

二男が直接聞かれたりしたこともあったようで、長男の場合は、いじめられるようなことがなかったので、いじめはあったのか?と聞かれるのなら、問い詰められた二男の方でしょうね。

二男は、そういう風に聞かれても、なるべく表に出さないように気を遣っていてくれていたと思います。

私が、何か言われたりするのか?という問いに対して、答えたくらいです。

そう、家族って…みんなで支え合っているんですよね。

気丈に振舞ってくれた二男にも感謝で一杯です。

不登校児が出た卒業式…それは、誰よりも立派でした

先生たちと支え続けた2年後、小学校の卒業に至りました。

卒業式の姿は、安堵感でいっぱいでした。

その場に、みんなと同じように参加してくれることのありがたさ…

これは、不登校児を持ってみないと分かることのできない感謝です。

直前まで卒業式に出てくれるのかさえ、不安なほどでした。

これも、今思えば…親のエゴかもしれませんね。私のために卒業式に出させたかったのかもしれません。

みんなと同じことが出来る事って、赤ちゃんの頃に、どんなお母さんもお父さんも不安に思うこともあったことでしょう。

無事に生まれるかな?無事に成長過程を過ごしていけるかな?

そんな想いが詰まったものが、人並みのことができるようになってほしい。そして、社会生活が始まっていく子どもは、月齢のバラつきが大きいと思いますが、いつもやれているものと勝手に思い込んでしまうものです。

何か問題が起きた時に、初めて知らされる事実に困惑する方もいらっしゃることでしょう。

親なら、誰しも通る道ですね。

困惑した時に…私は、自分の幼少期を振り返り…

「母にこんな想いをさせたんだね。ごめんね。」

そう感謝を伝えられるように、子を育てさせてもらって考えられるようになりました。

そして、節目には、親ばかになればいいのだと思います。

それまで、家族で頑張ってきた勲章があるでしょうから。

沢山喧嘩して、喜怒哀楽満載な2年間を今振り返ると…

喜怒哀楽の本当に多い2年でした。

でも、いろんなことを私は、プラスに考えられることができます。

息子がいてくれたので、娘の育児を手伝ってもらうこともできましたし(笑)

いつも大切そうに抱っこしていました。

そして、時に、妹の取り合いもありました(笑)

長男には、沢山のお金も使いました(笑)ゲームセンターに行く友達が、毎週誘いに来てくれていたので、その波に乗って、いつか元の生活に戻ってくれればと…お金と引き換えに願い続けてきました。

休日にだけ、出かけて、平日学校に行かないことを疎まれたことでしょうが、そこは、救われていたようです。

ちなみに…今、原因って何だった?と聞くと…

ぼやけてしまって覚えていないようです。

でも、人前でスピーチをしなくてはいけなくて、どうしてもそれが嫌だったと答えます。

どんな出来事も、事の発端って、最初から大事ではない。そんなものかもしれませんね。

大人だって、そんな物事が多いのではないでしょうか?

ちょっと、間違った行動をしてしまったことから、すれ違ってしまう人間関係があったり、ふとしたきっかけで、道を逸れてしまったり…自分に置き換えれば、そんなことあるよね!と思えることがあるはずです。

自分のためではなく、「子どものため」を考えてあげることが、本当の愛情だと思います。

一緒に闘うには、自分のためでは、子どもは動きません。いつも言うのは、「あなたのためだよ。あなたの人生だから、後悔しないなら、ママは別にいいんだよ」そう伝えています。

どんな選択肢を選んでも、最後は、責任を取ってあげられるような親子関係を築いていくことが、どんな困難にも立ち向かっていけることかもしれませんね。

今回は、実話としてお送り致しました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

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