赤ちゃんが欲しいという悩み
赤ちゃんが宿るかどうかというのは、スピリチュアル的に見ると、魂との兼ね合いもあり、とても難しい問題です。
生産工場のように生み出すことは、簡単なことではありません。
卵子と精子…そして、魂の3つが必要なのです。
そして、このタイミングと表現すればよいのでしょうか…これについても、摩訶不思議なことが起きるほど、生命の誕生に関わる事象は、科学的に証明できることだけではないのです。
どう生きていけばいいのか…迷った時、悩んだ時に考えなくてはいけないことです。
我が子を抱いていみたい…その願いは、今も同じですか?
不妊で悩まれる方のネットに投稿される文章を見て、心を痛めることが多い私です。
本末転倒的なほど、精神的に追い詰められてしまうケースも少なからずあるようです。
そういった事から、学びたいことを書いていきたいと思います。
ママになる憧れは、心清らかなままですか?
他人のことが羨ましく思え、そして、自分の心は、その比較から傷つき・焦り・心を乱していく…そんな方が多くなった時代ですね。
そして、赤ちゃんが欲しい欲求が高いが故に、赤ちゃんに対する想いは、いつしか怒りへと変わり…外で見かける赤ちゃんに危害を加えてしまう…
こんな事件が日常的に起きていることをご存知でしょうか?
少し前までは、友人の妊娠が喜べないと悩む人が増えたものだなという認識であった私ですが、近ごろは、危害を加えてしまうほど追いつめられてしまう人がいるということを知ったのです。
女性なら、大半の人が”いつか、ママになりたい”そう考えたことがあるのではないでしょうか?
その時に感じた想いは、そのままでしょうか?
辛いことを抱えるのは、心折れる。けれど、何故辛いのでしょう?
自分が夢見るあまり、他人に先を越されると、競ってもないのに焦るものです。
それは、結婚ということも、恋愛ということも同じことが言えるのではないでしょうか?
自分に無いものを周囲の人が得た瞬間に、自分が置いてけぼりを食らったかのように悲しみのどん底に落ちてしまう。
何故、そう感じるのでしょうか?
自分が他人から羨ましがられたかったのでしょうか?
何故、羨ましいのでしょうか?
それは、本当に羨ましいことなのでしょうか?
私は、1番問いたいのは、あなたは、幸せでないのですか?
赤ちゃんが欲しくて、悩む場合は、結婚をしているはずです。
恋愛をしたい方は、出逢いを探しているでしょう…
恋愛をしたい場合は、環境を整えなくては、恋愛できません。自分を磨いたり、出逢いのある場所に出向いたり、出逢いのチャンスを大切にすることが大切になってきますよね。
しかし、赤ちゃんが欲しいと悩む場合…環境要因は整っているのに何故?となる訳です。
(※妊娠に問題のある疾患として、私の見解は、生殖器が体の中にある状態であれば、医学的根拠を無視して、妊娠が成立することが起き、逆に、避妊をしていても、科学的根拠を超えた妊娠が存在するというのが、卵子・精子だけの問題でなく魂の関係なのです)
それ以前に、振り返って欲しいことがあるのです。
あなたは、そのパートナーを愛しているから、結婚したのですよね?
幸せを謳歌するということは、もう終わってしまったのでしょうか?
結婚する瞬間に、妊娠をしていない限り、子どもが産まれていない限り、二人で幸せを築いていこうと誓ったはずです。
新たな幸せが欲しくなったという気持ちが、次第にストレスになり、パートナーを道具として見てしまいがちな女性が多いのです。
ベースは、パートナーと過ごしていくことです
この問題で、私が忘れて欲しくないこと…
いつしか、自分の心が汚れていってしまうことで、パートナーとの絆は、亀裂が入ってしまったり、先に挙げたような事件が発生した場合には、謝罪するのは、自分ではなく、パートナーなのです。
自分より先に妊娠するのが腹立たしいと、突き落す。
自分の前で、赤ちゃんを連れ歩く姿を見せるから、疎ましいと赤ちゃんに危害を加える。
実際にあったことです。
私は、批判をしてるわけではないのです。
自分の欲求で、最大に傷つけ、信用を失う結果を与えているのは、他の誰でもなくパートナーなのです。
友人の妊娠が喜べないと、愚痴ることも悪いことではないでしょう。
しかし、度が過ぎれば、聞かされる方もストレスです。
悩み苦しむからこそ、分かち合うべきは、パートナー
責任をパートナーに押し付けたり、他人を妬んで傷つけることは、人としてダメなことです。どんなに精神が…と言い訳しても、許されないこと、取り返しのつかないことが存在するのです。
ここまで、自分の精神は崩れないという保証は、誰にもわかりません。
同じように辛い未浄化霊に出くわせば、憑依という現象も起きやすくなるのです。
しかし、何でもかんでも、霊が悪いわけではありません。
自分の心の在り方が問題なのです。
赤ちゃんに執着しすぎれば、失う代償が多い
この点を忘れてしまう方が、どうも多いように思います。
友人に”わかってよちゃん”になって、発言した結果、自分が念願の妊娠を果たしても、喜んでくれない心の狭い奴だと発言する人さえいるのです。
結果、どんなに大切な友人であったとしても、心の穢れは、波長のズレを呼びます。
それは、パートナーにも言えることです。
こんな方が多いので、私は、不妊で悩む方への注意信号を送りたかったのです。
あなたが悪いわけではない。
そして、誰かが悪いわけでもない。
悩む時間をパートナーと深める時間に使うことが1つのメッセージ
不妊で悩む方は、どうも”今すぐ”欲しいという気持ちがあるが故に、啓発的な言葉やスピリチュアル的な言葉を嫌う傾向があるようです。
しかし、心が汚れて生活しても良い。
自分は、辛いのだから仕方がない。
なんていう理屈が通ることはありません。
毒吐いて、周囲を不快にさせるくらいなら、パートナーと分かち合い、どう生きていくかを二人で考えることが1番です。
結果、やはり、今は子どもが優先ならば、他人を羨むことなく取り組むことです。
もっと楽しいことを二人で過ごす時間に当てようと、人生を有意義に生きることだってできると思います。
ペットにシフトチェンジする方も増えましたね。
それも悪いことではありません。
また、不思議なもので、赤ちゃんに執着している人に限って、身寄りのない捨てられてしまった赤ちゃんを助けようという気持ちが起きないのですよね。
どうしても、自分のお腹の中で育て産みたいというところに拘るのです。
赤ちゃんが欲しい=赤ちゃんならどんな子でも歓迎にはならないのです。
そういう方が引き取って育てるべきだと言っているのではありません。
悲劇のどん底にいる自分を救う手立ては、沢山あるものなのだと言っているだけです。
いつ親になっても恥じない自分
これを目指さないといけません。
赤ちゃんは、欲しくて産んだ人でも、100%可愛がれるほど甘くない要求をするのです。
そして、妊娠期間の辛さも、産みの苦しみもあるのです。
妊娠がゴールではありません。
子育てに終わりはないのです。
自分がどんな環境で育ってきても、今ある自分を育ててくれた人が必ずいます。
それ以下ではなく、それ以上を捧げられる自分になれてこそ、恥じないものでしょう。
人の妬みを言うことは、親として好ましくありません。
子どもにそんなことを教えていいはずもありません。
辛さに縛られるが故に向き合えなくなる心は、解放して欲しい…それが私の願いです。
心が苦しくて、また周りに悩む方がいらっしゃって、このコラムに辿り着かれた方…人から嫌われるようなお母さんを持ちたい方はいないと思います。
生き方としても、荒んで生きることは好ましくありません。
自分の心の在り方を改善するカギは、妊娠というゴールではなく、愛するはずのパートナーとの絆なのです。
パートナーとの絆を再確認してみませんか?
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