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言葉で想いを伝えられないもどかしさ…言語障害になった方から学んだこと

  • 2017年5月15日
  • 2019年10月28日
  • 未分類

誰もが予定していないこと…それは、突然の病や事故に遭うこと。

人生で、予定に取り入れたくもないこと。

しかし、医学の発達において、死ぬことさえ許されず…受け入れて、生きていかねばならなくなった障害者としての未来。

ある日、人生が変わってしまう…

中途障害について、考えて頂きたいことがあるので、コラムにしてみました。

私の介護職員時代の背景も含んでいます。

最上級の中途障害は…言語障害だ! by元介護職員

表現上わかりやすさを提示したいので、敢えて、障害であるか、そうでないかを明確化しての表現を多用する可能性を含んでいますことを、先だってお詫びいたします。

悲しい、無言

あらゆる中途障害をお持ちの方を見てきました。

半身麻痺、言語障害、下肢切断、視覚障害…

これらの障害は、視覚だけでも判断できてしまう部分ですよね。

原因となるものは、事故であったり、脳や心臓の血管の病気であったり、糖尿病であったりしますね。

難しく書いてくださっているサイト様は、沢山ありますので、症状や原因につきましては、割愛させて頂きます。

私の驚いた症例では、脳梗塞を起こされた方が、全盲になったケースです。

その他の身体には、障害はなく、目だった後遺症は、全盲だけでした。

という具合に、どのようなことが、いつ・誰に・どこで起きるか分かりません。

中でも、介護利用されている方で衝撃的な状況に置かれるのは、言語障害を負った方だと思います。

何故なら、YESもNOも…表現できなくなるわけです。

全ての日常会話だけでも、YESとNOだけで、生活するなんて、考えるだけでも、自分だったら…置き換えたらどのように感じますか?

人と話す事を諦めますか?

言語障害が出るには、左脳の損傷によるものが一般的です。

そして、日本人の多くは、右利きですよね。

一般的に考えると、話す事も出来なければ、利き手の自由も奪われるという事です。

また、気管切開や喉に関わる疾患によって言語を失う場合もあると思います。

言葉が発せれるかは、QOL(生活の質)を大きく左右します

元々、話す事ができなければ、手話を学んだり、筆談を学んだりして、コミュニケーションを取る術を身に付ける事ができます。

しかし、中途障害は、それまでの生活が一変するのです。

手話を覚えるには、片手が不自由です。

筆談をするには、利き手じゃない方の手を使いこなせるようにならなければいけません。

そして、絶えず筆談できる状況にいないということです。

半身麻痺の方は、会話ができます。

(認知症の有無ついては、今回は触れません)

下肢等を切断した方も、会話ができます。

視覚障害も、会話ができます。

(視覚の問題については、今回は触れません)

聴覚障害によって、耳が聞こえないだけの場合、それまでの言語の獲得があれば、話すことは可能な部分があるでしょう。

様々な重篤な障害を残す疾患や後遺症があると思いますが、今回触れていきたいのは、ある日、自分の想いを発することができなくなったらというテーマであることを今一度お許しください。

何故、言語障害が最上級で辛いと表現しているか…

ここから、本題の私が伝えていきたい部分について書いていきます。

お話できる範疇で、実話を元に構成していきたいと思います。

家族の中にもう一度戻りたい!その知られざる努力

直接聞いたわけではありません。

私が職員として働いていた頃に感じたエピソードです。

仮にMさん♀とします。

現在、介護保険法という法律によって、被保険者は、介護が必要な状況になった時に、制度を利用することができます。

つまり、40歳以上であれば、利用できるという事です。

これを読んで下さっているあなたの年齢は、被保険者にあてはまりますか?それとも、まだ他人事の話でしょうか?

そのMさんは、50歳を目前として、ある日病に倒れました。

結果、右半身の麻痺と言語障害が残りました。

とても、美人な方です。

先ほどの、介護保険の制度を利用して、Mさんは、デイサービスに通っていました。

周りに同年代の方は、いらっしゃいません。

親子ほど離れた世代の方も沢山いる中に、通われていました。

この段階で、私だったら…心が折れてしまうかもしれません。

自分は、若いつもりでいた。元気なつもりでいた。負った障害と、向き合うための施設は、高齢者が多い施設です。しかし、制度上の行先は、若い人向けというものは、少ないですし、それぞれの施設の適応というものがあるのです。

差別をするわけではありません。

他人事として過ごすことが多いでしょう。

自分には、まだ先だと思うこと…これは、一般的に感じる主観ではないでしょうか?

高齢者の方でさえ、自分が高齢者施設のお世話にならなければいけないなんて、考えてこなかったでしょう。

そうです。誰しもが、その時を迎えるまで、他人事として過ごしているはずです。

しかし、そこで、心が折れていたら、リハビリができなくなるのです。そして、家族には、負担を掛ける一方になってしまいます。

いつも笑顔のMさん

このMさんは、笑顔の素敵な方です。

一生懸命、順応と適応しようとされていました。

私が見る限り、脳トレに一生懸命取り組み、周囲に笑顔を振りまき、リハビリ体操は、率先してやる方です。

そこには、Mさんの

言語障害を乗り越えたい!もう一度話したい!母親として、女として、人として、普通の身体に戻りたい!

この想いが滲み溢れ出ていました。

口腔体操というものがあるのですが、発音は、難しい音の方が多いです。沢山の音を上手く発音できません。

でも、本人は、発音している、発せられるように頑張っています。

そして、誰の目も気にしないで、誰よりも大きな声で、こちらが提示するカリキュラムをこなすのです。

人当たりの強い娘さん

悪口が言いたいのではありません。

人は、究極な状況に置かれると、精神的に余裕を失います。

年頃の成人されたばかりくらいの、Mさんに似て美人な娘さんが2人いらっしゃいます。

送迎の時に、風当たりを強く感じました。

いろんな疑問が湧くのですが…

前提にあるのは、Mさんの疾患によって、家族の歯車がずれてしまったこと。

計り知れない介護の負担や、歯痒さというのもあるでしょう。

そして、私がいたデイサービスの職員たちに想うこともあったかもしれません。

でも、誰もこの家族の笑顔を取り戻すために働きかけをしません。

多くのスタッフたちは、自分の与えられた仕事だけを全うすればいいと思っているのかもしれません。

考えない介護職員たち

みなさんは、自分に与えられた仕事をこなせば良いと考える派ですか?

どうも、私が出会ってきた中で、自分の事しか考えられない人と言うのが多いものだなぁと学ばせて頂ける機会が多く、その点についてをピックアップしてみます。

あなたが、障害者になったら…

あなたが、介護職員だったら…

という目線で、読んでいただければ幸いです。

話を戻して、Mさん…

左手の訓練をして、筆談をします。

でも、咄嗟の返答の時には、話そうとするのです。

とある介護職員Dさんを始め、(この職場は、Dさんがパートにも関わらず取り仕切るという不思議なワンマンな空間です)

Mさん用の筆談用の紙をいつも渡してあります。

YES、NOで回答できる質問については、身振りと、手振りで表現可能ですが、細かい事は、やはり相手に伝えることができません。

「何言ってるかわからないから、書いて」

と、その筆談用の紙を渡すのが習慣の施設です。

その人にどれだけ寄り添うかで、発語を聞くことができる

ご存知でしたでしょうか?

言語障害と診断を受ける場合…字の如く、言語に障害があることを指すのです。

ということは…言語訓練によって、障害を克服するようなリハビリ訓練が有効的であることは、間違いないのです。

そして、どの疾患においても、早期リハビリが大切です。

骨折した部位を長期間ほっとくと…関節等は固まり、機能回復訓練即ちリハビリには、とても痛みと労力が必要なのです。

言語訓練は、とても歯痒い想いをすると思います。

自分の意思を伝えるツールです。

普段、文句を言えても、言語障害があれば言えません。

ありがとうという感謝も、身振りで伝えられますが、やはり心を伝えるには、言葉ではないでしょうか?

そのような想いをやはり汲み取ってあげたい。

私は、聞くではなく、聴くを実行しました。

「Mさん、言葉を話せる訓練をしましょう!私と話す時、極力筆談は、やめましょう!ただ、私がMさんの言葉を全て聴くには、時間が必要なことをお許しください。私も頑張ります!」

そう伝えました。

そうです。赤ちゃんを育てるママが、赤ちゃんの欲求を聴けるのは、何故ですか?

そこには「愛」があって、愛おしい赤ちゃんを理解したいから、寄り添うのですよね。

そして、その欲求を聴くには、心の繋がりを作る時間が必要なのです。

だから、ママ以外には、伝わりにくいものなのです。

別れた元夫の(故)義理祖母の話

続いて、亡くなってしまった義理祖母の話をしたいと思います。

義理祖母とは

とても、想いの深い方でした。沢山の孫がいるにも関わらず、曾孫の長男をとても可愛がってくださいました。

写真付きの年賀状等を大切に飾り、毎日の日課の散歩の際には

「曾孫ちゃん、行ってくるね!(ただいま)」

と、して下さっていた祖母です。

そんな祖母は、身体が弱い人で、何度か生死の境を彷徨うような大病を患ったりしたそうです。

そんな祖母も、奇跡は続かず、遂に脳梗塞で倒れ、半身不随の後遺症が残りました。

脳の状態は、思わしくなく、認知症や後遺障害というより、シワシワの筋が沢山入っているはずの脳は、真逆へと変貌していったような記憶があります。

倒れた知らせを聞き、訪れた病院で…

連絡を受けてから、祖母の入院している病院に訪れました。

そこには、姑も先に来ていました。

姑は…

「こんなんなっちゃって…」

と、落胆しておりました。

しかし…

「何言ってるかわからないのよね!おばあちゃんの言う事は、わからないって、本人にも言うのよ…」

そのような文言を姑の口からいつも聞いていました。

言語障害は、2度と喋れないの?

みなさんは、言語障害を患ったら、2度と言葉が言えないと思いますか?

また、訓練等をして、赤ちゃんが、ママ、パパと言葉を覚えるような過程を辿ると思いますか?

喃語を話す赤ちゃんも、1歳を過ぎ、2歳にとなってくると…

まんまん、まま、ママ、ママ好き

と、言葉は進化していきますよね。

でも、話さないと思い込んでいた単語をポンッと話すことは、子どもの成長過程にもあることです。

あれ?昨日まで話さなかったのにな。でも、あの瞬間以来話さないな?という不思議な言葉の発達を見せてくれると思います。

言語障害も似たようなことが言えるんです。

喃語のように聞こえる言葉は、本当に何を言っているかわからない言葉なのでしょうか?

赤ちゃんだって、意味を伝えているけど、発声と発音ができないから、伝わらなくて怒ります。

これは、言語障害者も同じなんですよ!

聴いてしまった…祖母の声…

先ほど、意味は伝えることができないけれど、赤ちゃんと同じで、私たちが何を言っているかわからないだけで、想いを伝えようとする意思があるのです。

姑と元夫が居合わせていたその病室で、私が祖母に話しかけた時に、祖母が発言したんです。

「こんな体になって、惨めだ…」

私は、泣きました。

「そんなこと言わないで、私おばあちゃんの声聴くから!」

と、伝えられたのが精一杯だったように思います。

誰も、祖母がこのような気持ちを抱いているとは、考えていません。

その後も、この祖母の会話について話し合った覚えもないのです。

私の経験を通じて…

誰しも好き好んで、事故や病気になりたいなんて考えないでしょう。

死にたいと思う人がいたとしても、病気になりたい人は聞きません。

そして、その前に死にたいと思う人が、既に病気なのです。

だから、好き好んで人生を辛いものに変えようと思う人はいないでしょう。

ある日、話せなくなった時…

想いが伝わらないもどかしさ、歯痒さ、自分の情けなさ…

この気持ちと闘いながら、生きて行かねばならないのです。

どうか、みなさん

どのような障害を患ったとしても、自分や周り関係なく

その方の心の声も聴いてあげてください。

話せる人同士でさえ、想いは伝わらないのです。

そこに疾患があって、もうこの人はできなくなりました!ってレッテル貼られて、それを受け止めて生きようとしている人たちが、どのような気持ちなのか…

そんなことが伝わって頂ければと思い、心の想いが伝わらない究極の障害として、言語障害というテーマを取り上げさせていただきました。

障害、障害でない関係なく、フラットな姿勢で、全ての心の声が聴ける余裕を持ち続けたいものですね!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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